やればやるほど ディスクシステム インタビュー(2004年9月6日号、9月21号より)
徹夜して迎えた朝、布団がないからカーテンにくるまって寝たんですよ。(坂本)
徹夜の連続だった『パルテナ』の開発
── お次は、発売の3日前まで開発が終わらなかったという『パルテナの鏡』について。このソフトは大澤さんのデビュー作ということで。
大澤 さっき、清武がほっとかれてかわいそうだったという話がありましたけど、僕なんかもっとかわいそうでしたからね(笑)。
坂本 (しれっとして)もっとほっといたもん。
一同 (爆笑)
大澤 『メトロイド』は、ほっとかれたと言っても、2人いたわけじゃないですか。『パルテナ』は僕1人だけだったんです。ただ、プログラムは外部の会社にお願いしていたので、自分で仕様書を書いて、自分で絵を描いて、外の会社に持って行って、できあがったやつを見て、実際に遊んでということを、『メトロイド』の開発が終わるまで、淡々と1人だけでやってたんです。「『メトロイド』が終わったら、メンバーを補強してやるから、それまでは1人でがんばっておけ」と言われてましたし。
── それで、お約束通り、援軍はやってきたんですか?
大澤 『メトロイド』の発売は確か8月で…。
── 8月6日発売ですね。
大澤 よく覚えてるでしょ?(笑) だから、7月下旬くらいまでは作業していて、開発が終わるとみんなリフレッシュをするために休みをとっちゃいますよね。だから、「早、来てくれへんかなあ」と思いながら、8月になっても1人でやってるわけです(笑)。それで、休みが明けた坂本が出てきたので、つくったものを見てもらったら、ひとこと「できてへんやないか」って(笑)。
坂本 そのときは、「跳ねて、矢をうつだけ」のゲームだったんですよ(笑)。
── 『メトロイド』が「走って、撃つだけ」のゲームだったのが、今度は「跳ねて、矢をうつ」だけのゲームに(笑)。
大澤 もともと自分の好きなものをつくりたいというか、『パルテナ』は自分のデビュー作でもあったので、そんな気持ちがとくに強いわけですよ。体育会系の清武が「走って、撃つ」という元気のいいアクションゲームをやりたかったのと同じように、僕はもともとギリシャ神話が大好きで、それをモチーフにしてアクションゲームをつくりたかったんです。それも、RPGの匂いのするようなアクションゲームにしたかったんですね。で、設定やキャラクターのデザインはどんどん進んでいったんですけど、矢を射って当てるという、アクションシューティングっぽい仕様に関しては、結構こだわっていたんです。でも、まだ若かったですから、なかなかゲーム性につながらなかったところもあって…。その部分については、坂本が開発に入ってきてくれたことによって、整理されてきたんですね。
坂本 徹夜をして、いろいろ決めてたなあ。「はよ決めな、マスター出し(工場に完成したソフトを入れること)の日に間に合わへん」って言いながら。
大澤 当時は徹夜、深夜残業、徹夜、深夜残業の連続でしたね。それが日常だったんです。でも、家に帰らなくても楽しかったですね。
編集部注:あくまで当時の話です。現在、任天堂はそんなことはありません。
── 『パルテナ』開発中の前半はまだ結婚されてなかったんですね?
大澤 結婚してませんでしたけど、結婚してからも同じでしたね(笑)。あんまり変わってないです。それで、開発中はずっと坂本に怒られながらやってましたけど。
坂本 『パルテナ』のゲームデザインを決めようということになって、その日は徹夜になったなあ。それで朝になって、「ちょっと寝よか」って言ったら、布団も何もなかったので、カーテンをはずしてきて、くるまって寝たという(笑)。
一同 (笑)
大澤 暖かいものが何もなくって、当時は暖房も決まった時間に切れるようになっていて、夜になると寒なってくるんですよ。
坂本 結構寒かったよな。
大澤 『パルテナ』をつくったのは秋から冬にかけてですもん。で、寝るところもないんで、段ボール箱をつぶして、それを床に敷いて、カーテンをはずして…。
坂本 カーテンをはずすと、朝がとてもまぶしいんですよ(笑)。
一同 (笑)
坂本 でも、「寒いよりマシか」って言いながら、それでやっと寝れたと思ったら、定時に起こされたんですよ。
大澤 「起きて〜」って言われたから、素直に「はーい」と起きて。でも「10時まで寝かしてください」って、張り紙してたんですけど(笑)。
坂本 そうそう。起きてから気づいたよな。「なんでこんなに早起きして仕事せなアカンの」って(笑)。
一同 (笑)
大澤 だって、朝の7時に寝て、8時に起こされたんですから。もともと任天堂は朝が早くて、いまは8時45分はじまりなんですけど…。
坂本 当時は8時15分はじまりやったよね。
── すごく早いですねぇ。
大澤 それで8時になるとみんながパラパラ出社してきて、「あ、誰か寝てるで。起こさなアカン」って。
坂本 (しみじみと)ヒドイ話やねえ。
大澤 (正気に戻ったように)ぜんぜんゲームに関係ない話やん!(笑)
── いや、ディスクシステム当時の空気がわかるので、どんどん続けてください(笑)。
坂本 いいですか?(笑)。で、そんな姿を気の毒がってくれて、「布団を用意してやろう」と言ってくれたんですが、コタツまで用意してくれて(笑)。
大澤 あれ、いま考えても違うと思う。だって、コタツを用意するより、開発を手伝ってくれよ!って言いたい(笑)。でも、冬に向かっていく時期だったので、残業していたときに、寒かったとか、腹がへったとか、そんなことばかり覚えてるんですよね。それで、お腹がすいたときに、勝手に上司の机をあけて、切り餅を…。
坂本 サトーの切り餅やね(笑)。
大澤 それを電子レンジで温めて食べてたんですよね。
坂本 (懐かしそうに)そうやった(笑)。
大澤 (また正気に戻って)全然、ゲーム制作とは関係ないですよね(笑)。
── 『パルテナ』というゲームは、『マリオ』の横スクロールとは違って、縦のスクロールになっていて、しかも落ちたら死ぬというすごいシステムでしたよね。
大澤 あの頃はいろいろ言われましたね(笑)。
坂本 「落ちゲー」って言われてたもんな(笑)。
── それで落ちて死んで、いちばん印象に残ってるのは、ゲームオーバーの画面の「ヤラレチャッタ」(笑)。
坂本 あれ出ると、みんなカチーンですよね。
── あれって、任天堂のゲームらしくないというか、ちょっとブラックなエッセンスがありますよね。
大澤 僕と坂本が組んで、ゲームをつくろうとすると、わりとブラックっぽいテイストが出てくるところがあるんですよ。たとえば『カエルの為に鐘は鳴る』(1992年)というゲームもいっしょにやりまして、坂本と僕の感覚がいっしょになると、ブラックなテイストが出やすいのかなあと思うんですね。『パルテナ』でも、ナスビ使いといって、ナスを投げてきよるヤツがいますよね。そいつを考えたのがちょうどボーナス時期だったんです(笑)。
一同 (笑)
大澤 『パルテナ』は冬のボーナスの時期に発売されるし、夏のボーナスが出る時期にキャラクターを考えてたんですよ。「ボーナスがもうすぐ出るぞ〜!」と思いながら、ナスビ使いの棒にナスをさすようにして、ボーナス(笑)。
一同 (爆笑)
大澤 でも、それだけじゃ出す意味がないから、呪いをかけられるようにして、ナスをピョーンと投げて、それが敵に当たったら、主人公がナスに変わるようにしたわけです。でも、ナス用のキャラクターを入れる容量がないから、ナスを上から張り付けて、それに足をくっつけるという、めちゃくちゃなことをやってましたね。
坂本 あの当時、開発一部のスタッフは、皆おかしくなってたよね(笑)。「魔法使いがおるんやったら、ナスビ使いがおっても、おかしないやんなあ」ってマジメに言う人がいて、こっちも「うん。おかしないなあ」って妙に納得したりして(笑)。
一同 (笑)
坂本 「ナスビ使いはぜんぜんおかしない。じゃあ、それでいこか」って。
大澤 あれの前に、坂本さんは『レッキングクルー』をやってたじゃないですか。そのときに、ナスビ仮面、エッグプラントマンというのがいたでしょう。あれが好きで、なんか知らんけど、ナスに対しては熱い想いが僕にはあったんですよ(笑)。で、「『パルテナ』でいただき」ってことで、ナスビ使いを描いたんです。
坂本 でも、あれは自然に生まれたよね。
大澤 だから、すごくいいノリで『パルテナ』をつくったんですよね。
坂本 クレジットカードもそうやね。
大澤 ギリシャ神話になぜかクレジットカードがあると。借金してモノが買えるんですけど、かなりいい加減でしたね。
── でも、そもそも最初はギリシャ神話をベースにしっかりとつくろうとしてたわけでしょう?
大澤 基本的に僕は、マジメに取り組もうとしていたんです。でも、そのうち、周りからいい加減なチャチャが入ってくるようになって、自分としてもどうでもよくなってしまって、最後には「面白かったらええやん」って思ってしまって。
坂本 僕もある意味マジメにやってたんですけどね(笑)。
大澤 でも、だんだんフザケタものになっていくんですよね。
── そうそう。ラストはなんとシューティングステージになってますけど。
大澤 あれはねえ、ホントはもっといろんな設定があったんですけどね(苦笑)。なんせ、発売の3日前まで仕事をしていたので、間に合わないんですよ。だから最後は力ワザでエイヤで決めたんです。そうしなかったら終わらなかったんです。
坂本 あれは、次の次くらいで終わる連載マンガみたいやったね。
── あははは! なんかスゴイ喩えですねぇ(笑)。
坂本 なんか、無理やり死にました、みたいな感じ(笑)。
大澤 でも、最後の面だけ、変わったことはやりたかったんです。「なんで突然こうなるの?」みたいな。だから「横スクロールシューティングで行こう!」と。
── でも、ホントにビックリしましたよ(笑)。
坂本 僕ら、つくっててもビックリしましたもん(笑)。誰よこいつ?みたいな。
大澤 当時は「何じゃコレ?」の連続でしたよね。
── マルチエンディングになっていて、メガネハナーンになっちゃうこともありましたよね。
大澤 さっきの話でもありましたけど、容量が少なくて、そのなかでアイデアを練らないとアカンのです。しかも、ユーザーさんから許してもらえるものだったらいいんですけど、怒られないようにしなきゃいけないというのはありましたね。
坂本 (しみじみと)当時はユーザーさんを怒らさないように気をつかってたねえ(笑)。
大澤 ファミコンミニには、国内版の移植なので入らないんですけど、国内版で入らなかった部分を海外版で入れてるんです。エンディングがゴージャスになって。
坂本 スタッフロールも入ったよね。国内版では入らなかったので、大澤はかなり残念がってたもんな。
大澤 「せっかく演出まで考えたのに」って言ってて…。でも、3日前やったし(笑)。「スタッフロールを入れたい」なんて言っても、「何言ってんのや」って言われたし。