エレキコミック今立進の「ファミコン カセッ党」|第1回1983年【ファミコン40周年記念コラム】
Nintendo公式YouTubeチャンネル「ファミコントークショップ コバヤシ玩具店」にも出演中のエレキコミック、今立 進(いまだち すすむ)さんのファミコン連載コラムがスタートです!
そもそもファミコンとは? という方はこちらへ。
▼初めての方は自己紹介を兼ねた第0回からご覧ください!
第1回まだファミコンを持っていなかった1983年
どもっ、ファミコン発売の1983年から1年1話として、その頃の思い出を書いていく連載の記念すべき第1回。
企画の経緯やら意気込みやらは前回の第0回を読んでいただき、今回から満を持して臨みたいところですが、昨年末から年始にかけて風邪をひき、やっと回復してきましたが、未だに万全ではないイマダチです。
私自身、50周年まであと2年となり寒さやら風邪やらに弱くなり、治りも遅くなり老いを感じざる得ません。
「ファミリーコンピュータ」が発売された1983年(昭和58年)当時のイマダチは8歳で小学2年生。
年中、半袖半ズボンで過ごしても何ともないプライスレスな肉体を持っていました。そんな戸愚呂100%中の100%(©幽遊白書)な身体を持つイマダチ少年のファミコンライフを早速、振り返りたいところですが、この年に私ファミコンを持ってません。
そもそも、1983年7月15日時点でファミコンの存在を認識してなかったように思います。
小2の頃といえば、ファミコンと同じくアニメ開始40周年となる「キン肉マン」のTVアニメが4月から放送開始。当初は屁で空を飛んだり、ニンニクでパワーアップしたりと子どもウケするギャグ満載で御多分に漏れず、どハマリしました。
当時の、日曜日は朝から忙しく
7時〜「おはよう!サンデーちびっこマラソン」(日テレ)
8時〜「おはよう!ゲートボール」(テレ朝)
9時〜東映不思議コメディーシリーズ「バッテンロボ丸」(フジ)
9時半〜「パーマン」(テレ朝)
そして10時からは「キン肉マン」(日テレ)という朝からチャンネル権(家庭にテレビが1台で何を観るかの権利)を独占、まあこれも一人っ子の特権ですかね。
今思えば、なぜ朝からやりもしないマラソンやゲートボールを観ていたかわかりませんが、ニュース以外、映っていれば何でも良いぐらいのテレビっ子だった気がします。
「キン肉マン」にハマったということは「キン消し」(キン肉マン消しゴムの略だが、消しゴムの機能はない)にもまんまとハマり、なけなしの100円を握りしめてはガチャガチャに向かい、「アシュラマン」が欲しいのに折れ曲がった「キン骨マン」や「スカルボーズ」が出て、絶望したのも小2の頃でした。
はっ、すみません、当時を懐かしむだけの話になりゲームの話をしてませんでした。
そんなガチャが置いてある駄菓子屋には筐体で1プレイ10〜30円でできる『インベーダー』やら『ドンキーコング』なんかがありました。画面の中でキビキビ動くキャラクターに心奪われますが、こちとら何しろ金がない小学生。やりたいのは山々なんですが、ゲームよりもまず空腹なんですよね。
「うまい棒」や「5円チョコ」「餅太郎」に、ヨーグルトではない何かでお馴染みの「モロッコ ヨーグル」なんかに小銭を費やしていたわけです。なのでゲームはお金を入れずに、デモプレイを操作してる風にやって満足してました。ゲームを遊べるような奴は富裕層だと思ってましたし、こちらはずっと後ろから恨めしそうに覗くタダ見のギャラリー側でした。
そんなイマダチのゲームとの出会いは、任天堂のゲーム&ウオッチ『ドンキーコング』だったと思います(諸説あり)。
「ゲーム&ウオッチ(以下G&W)」はまず「ウォッチ」じゃなく「ウオ」ですので、お間違えなく、ここテストに出ます(何の?)。
「G&W」は1980年に発売され大ヒットしていた任天堂初携帯型のゲーム。1982年にはアーケードでヒットしていた『ドンキーコング』も移植、どこでも遊べるということでこちらも大ヒットしていました。
「ゲーム&ウオッチ」についてはこちら。
そして、後発のマルチスクリーンは、ゲーム史的にも十字キーの採用や、後のニンテンドーDSへも繋がるであろうマルチスクリーンなど、見るべきところの多いゲーム機です。当時の私も年上の子が持っていてやらせてもらいましたが、そのおもしろさは子供ながらに「いい仕事してますねー」(©中嶋誠之助)と感心しました。
そして私も親にねだって買ってもらいましたよ「G&W マルチスクリーン」の『ドンキーコング2』を。
「ドンキーコングじゃないのかよ!」って話ですが、子供の頃から、「コ○コロ」より「ボ○ボン」、「ガン○ラ」より「ロボ○ッチ」だったので、周りとは違うものに魅力を感じるような偏屈な子供だったんですよね。
『ドンキーコング2』はめちゃくちゃ楽しんだし、敵が信じられないスピードになるぐらいまでやり込んだ思い出の1本で、今だに所持していますが、ネットを調べていて、ある仮説が浮かび上がりました。
『ドンキーコング2』の発売日は1983年3月7日。これを買ったことでファミコンを買ってもらえなかったのではないか! 説。
つまり、ファミコン発売の数か月前に、子供にとっては高価な6,000円(税別)する「G&W」の『ドンキーコング2』を買ったことで、本年度のイマダチ少年への予算は底をついたのではないだろうか?
……しかし記憶を遡っても、まだファミコンを欲しいと思っていなかったとも思います。
ファミコンは初期からCMも流していましたが、私が覚えているのは「オレたちひょうきん族」(フジ)で流れていたもの。この頃のイマダチは、まだゴリゴリのドリフ派で「8時だョ!全員集合」(TBS)を観ていたので情報としても知らなかったし、友達もそうだったので、ファミコンをまだ知らなかったのだと思います。
ゲームと言えば私はLSIゲームで『ドラキュラハウス』(エポック社)や、『ハンバーガーショップ』(バンダイ)、そして『ドンキーコング2』なんかをボタン電池を絶滅させる勢いでやっていたので、ファミコンとの出会いは来年以降となります。
……次回1984年はサードパーティの参入で大いに盛り上がりを見せる年。
イマダチ少年はファミコンを買ってもらえるのか!?
さて、どうなることやら、続きはBACK TO THE Next Year。
お笑いコンビ「エレキコミック」のツッコミ担当。
毎週土曜日25時、TBSラジオ「エレ片のケツビ!」、Nintendo公式YouTubeチャンネル「ファミコントークショップ コバヤシ玩具店」ほか、多数出演中。
ニンテンドードリーム本誌にて「イマダチススムのダウンロー堂」を連載中。▶︎ニンテンドードリーム刊行案内
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※画像は任天堂のサイトより引用しています。