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エレキコミック今立進の「ファミコン カセッ党」|第6回1988〜1989年【ファミコン40周年記念コラム】

エレキコミック今立 進(いまだち すすむ)さんのファミコンの思い出、連載コラム第6回(実質は7回目)。今回は1988年〜1989年へとワープ!
そもそもファミコンとは? という方はこちらへ。

▼初めての方は自己紹介を兼ねた第0回からご覧ください!

第6回 1988年といえば『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の発売!

どもっ、5月から連続していた舞台も6月で無事に終わり、それと時を同じくして仕事の確変状態も終わってしまい、7月はほぼ無職となったイマダチです。
「ここからは、ほぼ休みですよーどうしましょう?」と担当さんに笑いながら話してたら「じゃあ、『カセッ党』早く書いてくださいよ」と、ぐうの音も出ないクロスカウンターを受けたので、現在この原稿を書いています(w

さて、この7月で「ファミコン40周年」の記念イヤーが終わります。
この連載もそこで終わる予定ですが、今回は1988年(昭和63年)イマダチ少年(以下ダチ)が13歳中学1年のころの話です。
これまで月1、1年をテーマで書いていましたが、このままではファミコン最後のソフトとなった『高橋名人の冒険島IV』の発売日、1994年までたどり着かないので今回、帳尻合わせで数年進めたいと思います。

1988年がどんな年かと言いますと、東京ドーム、青函トンネル、瀬戸大橋などが完成し、「その食い合わせ合ってますか?」と今なら思う「となりのトトロ」と「火垂るの墓」が同時上映。「サトウのごはん」や「果汁グミ」が発売され、ソウルオリンピックで金メダルを取ったレスリングの小林さんが金メダルをなくしたりした年。

中学になったダチですが、一貫校なんで小学校と同じ敷地内にあり、変わらず1時間半かけて電車通学をしていました。
中学では何を思ったか、やったこともないバドミントン部に入りドハマりして筋トレやら朝練もやり続け、3年時には関東大会まで出場するんですが、それはまた別の話。

ファミコンも変わらず大人気で、今だに長蛇の列の代名詞であり(その長さ2kmとも)、ファミコンが社会現象として認知され、何よりめちゃくちゃ面白かった『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(エニックス)が発売された年。
先日の「Nintendo Direct 2024.6.18」でもHD-2Dとしてリメイクされ発売日も決定し(2024年11月14日)、今もなお愛されているタイトルです。

『ドラクエIII』とそのほかハマった名作たち

私も『ドラクエIII』発売日までに、前作『II』を幾度かの「ふっかつのじゅもん」の書き取りミスや、極悪な「ロンダルキア」のダンジョンに挫けながらも無事クリア。
何とか『III』を発売日の2月10日に買いたかったのですが、この日は土日でも祝日でもなんでもない平日の水曜日。
電車通学で普通に帰っても16時過ぎだし、そもそも放課後は部活だし、下っ端の1年坊主が「ドラクエ」を買うために休んだり、早退できるわけもなく、早々に購入は諦めました。
当然『ドラクエIII』は発売日にどこも売り切れ、深刻なソフト不足となります。

発売から何週間か経ったころでしょうか。
下北沢の「忠実屋」という(現在はユニクロとか入ってる「Recipe SHIMOKITA」のとこ)、何に「忠実」なのかわからないけど、生真面目さは伝わるハチ公のようなスーパーマーケット(おもちゃ屋も入っていた)で、『ドラクエIII』が発売されると新聞のチラシで知り、父親と買いに行きました。が、案の定売り切れ。
それからまた何週間後かの日曜にも販売が告知されましたが、その日は部活の試合で(先輩たちの)予定が合わず、今回も私はアリアハンに降り立つことは出来ないのだな……と勝ち続ける先輩たちを見て(皆めちゃ強かった)思っていました。

しかし、ウォークマンで友達のH谷部からオススメされた「大江千里」を聴きながら、電車で揺られ家に帰って来ると、何とそこには『ドラクエIII』があるじゃないですか!
ふだん寡黙な父が「パチンコ行くついでにのぞいたら、売ってたから買っといたわ。それだよね?」と照れくさそうに言ってましたが、イマダチ家に生まれて良かったと思った瞬間でした(現金な息子)。
思えば『ドラクエIII』も勇者の父オルテガが出てきて非業の死を遂げますが、ダチの父ダチテガは「キングヒドラ」とは戦わずに長生きしてもらいたいものです。
今さら『ドラクエIII』のスゴさを語ることもないのですが、まだ未経験の方がいて11月まで待てない方は、数字通りにやるのを私は推奨します。あっ「スター・ウォーズ」も制作年順に見るタイプです(笑)。

さて、この年は私が今だに疲れたときなどに多用してるフレーズ「くっ!! ガッツが たりない!!」でおなじみ、サッカーゲームの名作『キャプテン翼』(テクモ)も発売されました。シミュレーション+コマンドRPGのようなゲーム性が斬新で、ビジュアルシーンもいちいちカッコ良く、原作漫画の世界に没入できました。

▼『キャプテン翼』は「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ創刊50周年記念バージョン」にも収録されています

映画やアニメのような演出を駆使したこの手法は「テクモシアター」と呼ばれ、年末にはテクモシアター第2弾として『忍者龍剣伝』が発売されました。
こちらはゴリゴリのアクションゲームながら、ステージ間で美麗なビジュアルと動きでストーリーが展開され、先を見たくて何度も挑戦しました。
ちなみにこのソフトでの名ゼリフは、振り返りながら言う「お の れ 邪 鬼 王 !」

Nintendo Switch Onlineでも遊べますので、ラスボス戦はもちろん、信じられないスピードとダメージ、ホーミング性能の「鳥」に体当たりされ穴に落ち、一発死したときなどに叫んでみてください。
また急にゲリラ豪雨が降ってきたときや、会計時、電子マネーの残高が足らなかったとき、円安が止まらないときなどにも叫んで、すべて邪鬼王のせいにしちゃいましょう、不思議と心が軽くなりますよ(笑)。

忍者龍剣伝

ほかにも、シリーズ最高傑作だと思っている『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』や、システム一新で「ウボァー」の断末魔で有名な『ファイナルファンタジーII』なども発売されたのが1988年でした。

1989年。思い出に残ったゲームを駆け足で……

やはり1年書くだけでも長くなってしまったので、中3までの1989〜90年は少し駆け足で行きたいと思います。
1989年は昭和が平成に変わり、ベルリンの壁が崩壊し、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の放送が始まり、ヒット曲の1位2位が「プリンセス・プリンセス」な年。

中2になっても、相変わらず勉学は疎かで部活とゲームに忙しくしていたダチでしたが、変わらずお笑いも大好きでした。
思春期ということもあってか表に出たりはしませんが、仲良い友達の中では面白いと思われているようなタイプで、テレビでは「とんねるずのみなさんのおかげです」にドハマリしてましたし、ラジオでも「三宅裕司のヤングパラダイス」(ニッポン放送)なんかをテープに録ってはウォークマンで通学中に聞くという日々を送っていました。

三宅さんで言えばアマチュアバンドがメジャーデビューを目指す「三宅裕司のイカすバンド天国」(TBS)、通称「イカ天」も1989年。ここで観ていた「カブキロックス」の氏神一番さんが今、私と同じ事務所なんですから世の中わからないものです。
ちなみにこの年に始まったアニメ「ドラゴンクエスト」(フジテレビ)の二代目エンディング曲は、カブキロックスの「虹の都」で主人公アベルの声優は古谷徹さんでした(他意なし)。

ゲームで言えば携帯ゲーム機「ゲームボーイ」が1989年4月に発売されました。
初めて「ファミマガ」でゲームボーイソフトとして『スーパーマリオランド』の画面を見たとき、「おいおい、カラーじゃないし、ナメてんのかよ? これはないなー」と鼻で笑っていましたが、のちのち遊んだらめちゃくちゃ面白くて任天堂や開発した横井軍平さんにデコが削れるくらい平謝りしたい気持ちになったのを覚えています。
余談ですが、ゲームボーイは、お菓子か何かの懸賞に応募したら、本体と『テトリス』のセットが当たったというミラクルがあるんですが、ここは「ファミコンカセッ党」なので割愛させていただきます。

ファミマガ(1989年2月17日号)の「ゲームボーイ」の記事
ファミマガ(1989年2月17日号)より『スーパーマリオランド』の記事。現在はNintendo Switch Onlineでも遊べます


1989年の主なソフトは、ゲームで泣けることを知った『MOTHER』(任天堂)や、ゲームで恐怖を感じた『スウィートホーム』(カプコン)、ジャンプの名作夢の共演、ラストバトルは必見な『ファミコンジャンプ』(バンダイ)、アドベンチャーゲームだが即ゲームオーバーの選択肢だらけの『美味しんぼ 究極のメニュー三本勝負』など、書きたいソフトはめちゃくちゃあるんですが、ここは『悪魔城伝説』(コナミ)にさせてください。
まあ、この連載を読んでくれている方は、私が「悪魔城」好きというのは知っていると思いますが、ドラキュラシリーズでもトップクラスに好きなのが、この悪魔城伝説

ファミマガ(1989年11月9日号)より「悪魔城伝説」の記事

もう電源を入れて流れてくる曲を聴いた瞬間「あーこれは大当たりだ……」と思いましたし、プレイしたらその軽く上をいくアクション、面の構成や仕掛け、曲、敵、ボス、すべてが高レベルで纏まっちゃってんですよ。
しかも仲間がいて交代できたり、面の分岐があったりと何度も繰り返し遊べちゃいます。

……やりたくなってきたのと文章が長くなってきたので、今回は1989年までで終わりたいと思います。
次回は今回書ききれなかった1990年から。

ダチは中学生から高校生へ。次回「ファミコン カセッ党」最終回
「イマダチ党首任期満了につきカセッ党解散、10年後にまた会おう!」の回にご期待ください!
さて、どうなることやら、続きはBACK TO THE Next Year


今立 進(いまだち すすむ)
お笑いコンビ「エレキコミック」のツッコミ担当。
毎週土曜日25時、TBSラジオ「エレ片のケツビ!」ほか、多数出演中。
ニンテンドードリーム本誌にて「イマダチススムのダウンロー堂」を連載中。▶︎ニンテンドードリーム刊行案内

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