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エレキコミック今立進の「ファミコン カセッ党」|第7回 1990〜1992年【ファミコン40周年記念コラム】

エレキコミック今立 進(いまだち すすむ)さんのファミコンの思い出、連載コラム第7回(実質は8回目)。ファミコン40周年は終わりましたが、本連載はもう少しだけ続きます。今回は1990年〜1992年へとワープ!
そもそもファミコンとは? という方はこちらへ。

▼初めての方は自己紹介を兼ねた第0回からご覧ください!

第7回 1990年スーパーファミコンの発売と『ドラゴンクエストIV』

どもっ、ファミコン40周年も無事終わり、1年の締め括りとして7月18日に発売された『Nintendo World Championships ファミコン世界大会』の1番最初の「スーパーキノコ早取り競争」(スーパーマリオブラザーズ)で、今だにSランクが取れない「ファミっ子底辺」イマダチですw
すぐ遊べるし、リトライも早い、何度も挑戦しちゃう面白さなんで、まだ体験してない方はぜひ!

さて、第0回を含め去年12月から始まった、この連載も今回で最終回
最終回と言いながら前回は1989年。ファミコン最後のソフトが出たのは1994年……つまり今回で1990〜1994年までを振り返るという夏休みの宿題をやらずに迎えた「8月31日」のような心境です。
とにかく半ベソで思い出しながら書く絵日記よろしく始めて行きたいと思います。

1990年、15歳のイマダチ(以下ダチ)は、精神年齢中2のまま中3へ。世の中的にはアニメ「ちびまる子ちゃん」が始まり、「おどるポンポコリン」が大ヒット。東西ドイツが再統一され、イギリスのサッチャー首相が辞任し、任天堂から「スーパーファミコン」が発売。米米CLUBが「浪漫飛行」でJALのCMで、ユニコーンが「働く男」で「夢で逢えたら」(フジテレビ)な年。

そう! とうとうファミコンの後継機「スーパーファミコン」が、この年の11月に発売されるんです。
グラフィックがめちゃくちゃキレイになったので、そりゃビックリしましたよねー。8ビットが16ビットと倍になったと言われ、「言葉の意味は良くわからんが、とにかくすごい自信だ!」ということをファミマガを見ながら思ってました。

ファミマガ 1990年 Vol.23 より 表紙と裏表紙の広告。スーパーファミコン発売直前号。16ビットのことなどが広告にも書かれています(画像は一部修正してあります)

あいかわらず、ダチが発売日にスーファミを手に入れるはずもなく、この年もファミコンは現役で大活躍していました。
この年2月に発売されたのがファミコンでは最後の『ドラクエ』となる、『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(エニックス)。前作『III』と同じ轍を踏まないよう(前回コラム参照)、ちゃんと予約して手に入れましたし、メーカーも前回の混乱を考慮してか、発売日を日曜日にして学校や会社を休まずに買うことができました。

『ドラクエIII』で優しさを見せた今立家のオルテガこと父タ◯シ(以下、父テガ)は、『IV』ではカジノに入り浸り「知らないうちにコインを増やしてくれるマン」に転生しました。
父テガのおかげで「ほしふるうでわ」とか、なんなく交換できましたね。父テガは主にスロットをやっていましたが、5章でコイン838861枚が、たった4ゴールドで買えてしまうという禁断の裏技に私が手を染めてしまい、増やす楽しみがなくなったのか、父テガはスロットから足を洗ってしまいました。
あとにも先にも父テガがファミコンに興味を持ったのは、この『ドラクエIV』のカジノだけだったので悪いことをしました。
今度あったら謝りたいと思います(覚えてないだろうけど)。

この年、もうひとつ忘れられないソフトが『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』(カプコン)です。
ボス募集に応募して描いた自信作「忍者マン」が、なんと本編に登場した「シャドーマン」と瓜二つ。「採用された」と思ったら、違う人のやつで絶望しました。
今となれば、忍者なんて誰でも思いつくし、似たようなデザインのやつがごまんと届いてたんでしょうし、採用された方が誰よりも良かったのだと思えるんですが、当時は少しカプコンから距離を置きました(『3』も買ってるし、すぐ戻るけどw)。

ファミマガ 1990年 Vol.13 より『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』初紹介の記事。この時点ではボスたちはまだ公開されていませんでした

1991年、才能があると信じて疑わず、手を出していったゲームたち

「スーパーファミコン」の衝撃と大幅にパワーアップした『スーパーマリオワールド』のおもしろさを、渡辺徹さんMCの「スーパーマリオクラブ」(テレビ東京)で横目で観ながら年は明け「1991年」

▼スーパーファミコン本体と同日の1990年11月21日に発売された『スーパーマリオワールド』。現在も「Nintendo Switch Online」に加入すれば、Nintendo Switchで遊ぶことができます。

この年はスーファミで『ファイナルファンタジーIV』(スクウェア)、「出る出る出る出るついに出る〜」とスチャダラパーが歌うCMがカッチョ良い『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』が発売されます。が、この年も我が家にスーファミは来ません。まだまだファミコンが稼働中、ソフトも円熟期で画質や音楽も良く、おもしろいモノがたくさん出ていました。

ダチも高校生になりまして、毎度のことながらエスカレーター校なんで敷地も変わらず、小学校から高校まで12年片道90分の電車通学が続きます。
部活は中学のバドミントンで、ある程度の結果を残しまして、高校でもバドミントンを続けるもんだと周りも顧問も思っていたんでしょうが、生来の飽き性で(3年やったけど)、中学最後に体育でやったバレーボールがおもしろかったという理由で何の経験もなく「バレー部」に入部。
まぁ、ここで先輩にしごかれ、筋トレに明け暮れ、部活の同期とトリオを組んでコントをやったり、バカうけしたり、学園祭や合唱祭のMCをやったり、バカうけしたりと、青春、汗、友情な「熱血硬派ススムくん」(非テクノスジャパン)をするんですが、ファミコンに関係ないので割愛。

1991年は毎日、球拾いと筋トレで筋肉痛に喘ぎながらもゲームはしっかりやっていたダチ。
この年、記憶にあるのは『絵描衛門』(アテナ)。
ファミコン難読ソフトの一角だと思いますが『デザエモン』と読みますw

このソフトはファミコンで自作のシューティングゲームが作れるという夢のようなソフト。
ドットで自機や敵を描き、なんとBGMも作曲できちゃいます!
まだすべてに才能があると信じて疑わなかった若きダチは、何の根拠もない自信で、このソフトを購入しましたが、早々に挫折。
逆に自分にクリエイティブな力がないことを教えてもらいましたw
でも、このあとも懲りずに『マリオペイント』や『RPGツクール』にも手を出しては、同じ目にあいますが、それはもう少し先の話。

ファミマガ 1991年 Vol.16 より『絵描衛門』の記事


ほかにもディスクシステムの隠れた名作『タイムツイスト 歴史のかたすみで…』(任天堂)も、人生で一回はやってもらいたいアドベンチャーゲームです。
ちなみにパッケージで発売されたディスクシステム最後のソフトだそうです。
ありがとう「ディスクシステム」。俺は忘れないよ(書き換えは2003年まで出来ました)。

1992年。スーファミ本体よりも先に買ったゲームソフト……

お次は「1992年」
この年は日清ラ王やソニーが「MD」を発売し、AMラジオがステレオ放送になって、佐野史郎が冬彦さんで「んーんー」と唸り、槇原敬之が「もう恋なんてしない」と宣言した年。

この年、私はファミマガを見て震えました……スーファミで『ストII』が出る……ゲーセンで大ブームを起こしていた、あの『ストリートファイターII』(カプコン)が家で遊べるんです。
小学生からゲーセンに通い、高校からは「ゲーメスト」(ゲーセンのゲームの攻略、情報誌)も愛読するようになっていたダチにとって衝撃でした。
画面を見る限り、移植度もスゲー。ゲーセンでは『ストII’』(ダッシュ)が稼働中の6月10日に発売ということで、早速、下北沢に当時あった「どっきりカメラのキシフォート」で何とか予約をして、発売日に無事ゲット。

がっ! 皆様知っての通り、肝心の本体がありません
人気で品切れだったのか、お金がなかったのかは覚えていませんが、とにかく本体が買えなかったのです。

それからはソフトの箱を開けては説明書を読み、カセットを触り、また戻す、を毎日繰り返し、スーファミ本体を1か月ほど「待ちガイル」していました。
そんなヤキモキするなか、私のゲーム欲を満たしてくれたのがファミコンの『伝染るんです。かわうそハワイへ行く』(タカラ)。四コマ漫画界、いやギャグ漫画界に革命を起こしたと言っても過言ではない、吉田戦車作の漫画で、当時何度も読み返しては笑っていた大好きな作品がまさかのゲーム化。
まあ、これが不条理な世界観をうまく表現してるし、「伝染るんです。」キャラオールスター総出演という感じで、私は存分に楽しめました、ラスボスは必見です(デカくて笑います)。

ファミマガ 1992年 Vol.3 より『伝染るんです。かわうそハワイへ行く』の記事


そうこうしてるうちに、我が家にも念願の「スーパーファミコン」がやって来て、毎日『ストII』三昧の日々がやってきます。
本体発売から1年以上経っていたので、アクションとシミュレーションの奇跡の融合、ラスボスはまじキツイ『アクトレイザー』(エニックス)とか、『スーパーマリオワールド』に『ゼルダ』や『FF4』、最大の敵はバグとフリーズだけど、好きで何とかクリアした『摩訶摩訶(マカマカ)』(『イデアの日』も良いぞw)、などなど、本体がなかった日々を取り戻すかのようにプレイしていました。

ハイスクールライフの方は、あいかわらず勉学は芳しくないですが、バレーボールの朝練で朝5時に家を出て→授業は寝て→放課後は6時頃まで練習→家に帰ればゲームと、とんねるずにダウンタウン、バカルディ(現さまぁ~ず) など、お笑い三昧で勉学の入る余地がありません(避けてるだけ)。
高2になるとバレー部の同級生とトリオを組んでオリジナルのショートコントを作り、何かあれば周りに見せ始めたのもこの年。

そんな青春を謳歌していた私も気づけば高3。
進路を考える時期になるんですが、めちゃくちゃ長くなってしまったので今回はここまで!

最新作『笑み男』も楽しみなディスクシステムの名作『ファミコン探偵倶楽部』のように、今回は「最終回・前編」とさせて下さい。
「後編」は本当のラスト「1993〜94年」。
ダチは大学生になり、ゲームも次世代機の波がやってきます。
さて、どうなることやら、続きはBACK TO THE Next Year


今立 進(いまだち すすむ)
お笑いコンビ「エレキコミック」のツッコミ担当。
毎週土曜日25時、TBSラジオ「エレ片のケツビ!」ほか、多数出演中。
ニンテンドードリーム本誌にて「イマダチススムのダウンロー堂」を連載中。▶︎ニンテンドードリーム刊行案内

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※一部の画像・動画は任天堂のサイトより引用しています。

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