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開発コードは「ドルフィン」! ゲームキューブを思い返す9.14

9月14日は、2001年にニンテンドー ゲームキューブが発売された日です。
当時、任天堂の最高傑作ハードとして発表されたゲームキューブ。今振り返ってみると、懐かしさと驚きがたくさんありました!

ワタクシ、当時はまだ1ユーザー。読者として「ニンテンドードリーム」記事をリアルタイムに追いかけ、のちにライターからニンドリ編集長を経て本NDWの編集長を務めておりますりふぁが、編集部の書庫より埃まみれになりながらお届けします。

新製品発会でお披露目

正式名称が決まる前、新ハードは「ドルフィン」という開発コードで呼ばれていました。

イルカなんて、可愛らしいネーミング!と思っていましたが、あくまで仮称。
正式なる新ハード「ニンテンドー ゲームキューブ」のお披露目会が行われたのは、2000年8月24日、幕張メッセでした。

私は実際に見られたわけではないのですが、報道写真だけでも驚いたものです。

黒くてテカテカの衣装に身を包んだおにーさんがたが、取っ手を高々と持ち上げて現れた のです!プシューッ!!(※スモーク音)

当時、任天堂およびNINTENDO 64は子供っぽいとかダサいとか言われており…。
オトナびた感を意識した演出は、そのイメージの払拭に頭を悩ませた人々がいたからに違いありません。

こういった発表会が米国E3ではなく国内の展示会「ニンテンドースペースワールド」で行われたというのも、今見てもあらためて驚いてしまいます。記事によれば…

2500人を越えるマスコミや流通などの関係者を集め、新ハードの発表会が開かれた。国内でこれほど大がかりな新製品発会が開かれたのは、任天堂の110年を超える、長い歴史のなかでも初めてのことだ。

とのこと。

なお、この記事は当時の重要な人物(浅田篤さん、竹田玄洋さん、宮本茂さん)によるお話がまとめられていて、「ロクヨンの反省」やら、コントローラの設計やら、興味深い内容が盛りだくさんです!

この記事の反響次第では、いずれより深い内容までお届けできる日もくるでしょうか…!?


マリオ128にかっこいいリンクのバトルシーン

発表会でお披露目されたデモ映像の数々。
代表的なものは、大勢のマリオがわらわらっと出てくるというもの!

ゲームキューブの性能を示すための技術デモで、ちょっとずつ違うマリオがそれぞれの意思で動いていることが示されています。
この技術がのちの『ピクミン』を生みました(宇宙船「ドルフィン号」の由来もはゲームキューブの開発ネームですね!)。

マリオ128の内容について、詳しくは別の記事をご覧ください。(後ほど紹介します、たぶん)

ほかにも印象に残っているのは、『ゼルダの伝説』のリンクとガノンドロフが対決するかっこいいムービー
ファンからはこのテイストでの新作が期待されたため、実際に飛び出したのが『風のタクト』のアニメタッチリンクだったときには、いっそう度肝を抜かれました!

発売された製品の流れだけでは追えないソフトの歴史、ここにあり、です。

デザインコンセプトは“フレンドリー”

立方体の形状も特徴的ですが、注目すべきは「取っ手」

家庭の中のゲーム機のあり方をつねに考えていた任天堂。このころ家庭は、テレビが“一家に一台”の時代から、何台も置かれるような時代を迎えていました。そこで、好きな部屋に持っていって遊んでほしいと設計者は考え、取っ手が付けられたのでした。
パッケージ外箱にも取っ手が付いているという凝りよう!

ゲーム機に取っ手が付いてるなんて、今見ても斬新ですよね!

ところで、本体の蓋部分のネームプレートは取り外しが可能でした。
交換用の蓋はキャンペーンなどで入手することができましたが、値下げに伴い蓋の変更についてはなくなりました。

そんなプレートを実際に交換できた人はいますか?
(わたしです!)

8センチの光ディスクに込められた理由

12センチの光ディスクが主流の中、8センチディスクを採用したゲームキューブ。
その理由のひとつは不正コピーの防止だったといいます。
それに加え、読み込み速度を速くし、本体のサイズをコンパクトにすることもできました。

また、手の小さい子供にも取り扱いやすいサイズ感という点をあげていることも、任天堂らしさを感じられました。

皆さんの思い出は?

ニンテンドードリームのツイッターアカウントでは、事前に皆さんの思い出を募りました。

購入時の思い出から好きなソフト、取り巻く状況など、さまざまなメッセージが集まりましたよ!
皆さんもぜひ「懐かしい!」「自分も好きだった!」というメッセージを見つけて、「いいね」をしてみてください。

ロクヨン時代との違いのひとつとして、『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』や『テイルズ オブ シンフォニア』といったサード製の有名RPGが発売されたことも挙げられるかと思います。

個人的には、「つながる」ことにさまざまなチャレンジをしたハードであることが思い入れ深いです!
GBAケーブルを使ったゲームボーイアドバンスとの接続や、ネットワーク用のアダプタによる独自のネットワークゲーム…。新鮮な体験をさせてくれましたよ。

今の目線から振り返ってみると…

今年はとくに周年でもなんでもないのですが、ゲームキューブの発表当時の記事を見ながら懐かしく思い返してみました。
リアルタイムに追いかけてきたひとには懐かしく、当時を知らない人には驚くことがたくさんあるでしょう。

コネクティビティ、クラブニンテンドー、つぶより…
なつかしいワードを思い出した人もいるかもしれません!

当時、最高傑作ハードとして発表されたゲームキューブ。
「今やテレビが置かれない時代…」とか「Wiiは12センチディスクが採用されたので8センチディスクは最初で最後になった」とか、現在の状況から振り返るとまた違った見方をすることもできますね。

過去・現在・未来。

つながる任天堂ハードの歴史に、これからも目が離せません!

(NDW編集長 りふぁ)

<関連リンク>
▶︎ニンテンドーゲームキューブ


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