[対談] ゲーム音楽の枠を超えた酒井省吾さんの新たな挑戦
中学時代にギター購入、オリジナルを45曲書く
岩垂 酒井さんが音楽を意識しだしたのっていつごろですか?
酒井 中学1年生のときにフォーク歌手が流行っていて、ギターがほしくなったのが音楽への最初の興味でした。ギターを手に入れたあと、音楽の先生から「作曲コンクールに出てみないか」と誘われて、4ピースバンドを組んで曲を作ったのが、最初の作曲です。そのあと、高校に入ったら楽器と歌がすごく上手な女の子と出会いました。その子に「省吾、オリジナル曲を演奏するグループを組もう」って誘われて、今度はデュオを組むことになりました。本当に音楽ができる子で、譜面を書くとその場で演奏してくれるので楽しくなっちゃって、たしかオリジナルを45曲ぐらい書きましたね。
岩垂 そんなにたくさん!?
酒井 ちゃんとした会場を借りて、ワンマンライブとかもやりました。その経験が活きて、譜面を書くこと自体はまったく苦にならなくなりました。
独学で作曲、弾けないのにピアノ担当
岩垂 譜面を書けたということは、もともと音楽の勉強はしていたんですか?
酒井 いえ、してないです。譜面を書く技術やコードなどの知識は、耳コピをしていく過程で身につきました。というのも当時は譜面が高価だったので、なにか曲を演奏したかったら耳コピするしかなかったんです。ましてレコードだったのでリピートするのも大変で、コード進行とパターンを覚えて集中しながらやってたら身についていった感じです。そんなことを続けて大学に入ったあとは「どうしてもピアノが弾きたい」と思って、ある音楽教室のボーカルコースでバックバンドに入ったんですよ。キーボードとして。
岩垂 えっ! ピアノも弾けるんですか?
酒井 いえ、弾けないです(笑)。でもバックバンドとして活動すれば、本番の30日前からスタジオを自由に利用できたんです。僕の家にはピアノがないから、そこで練習して身につけよう!と思いました。
岩垂 弾けないのに入るなんて、すごい行動力ですね。ワンパクすぎる(笑)。
酒井 バンドの人たちは驚いていましたね。当時そこで斎藤ネコさん(※7)にピアノを見てもらったんですけど、てんでダメで(笑)。僕はピアノはダメだ、作曲家として生きていこう! と決意しましたが…まあそう簡単にはいかなかったです。まして僕は音大も出てないですし。
※7 斎藤ネコさん:ヴァイオリニスト、作・編曲家。アーティストへの楽曲提供や編曲、CM音楽などで多数の作品を手がける。また椎名林檎との連名でアルバム「平成風俗」をリリースしている。
岩垂 僕は一応音大出てるけど、作曲科ではないんですよ。だからアカデミックな勉強はしてなくて、でもなんとなくできちゃった。酒井さんもきっと同じですよね。
“気づき”をすぐ形にできる環境を求めてフリーに
酒井 作曲って結局「気づき」じゃないですか。教えられてどうこうなるものじゃない。もちろんまわりの環境や友達からの刺激も大切だから、そういう意味では音大の人は伸びる可能性が高い。でも結局突き詰めてしまえば「こういうコードかっこいい!」とか「この旋律がかっこいい理由はこれだ!」とかそういう気づきを得られるかどうかっていうだけなんですよ。僕は高校時代にデュオを組んで譜面をバンバン書いていたっていうのが、濃い経験だったんだなと思ってますね。
岩垂 学生時代に40曲以上書くって相当すごいですよ。
酒井 全部テープに残ってますよ。
岩垂 ぜひCD化しましょう!
酒井 考えておきますね(笑)。まあそういう経緯もあって作曲家として生きていこうと決意したあと、就職情報でデータイーストの作曲家募集を見つけて応募しました。お金をもらって作曲できるのは、本当に幸せなことですよ。
岩垂 そこからゲーム業界に入って、作曲家になって…という流れですね。ずいぶん破茶滅茶だなあ(笑)。長らくハル研などで活躍されていましたが、今はフリーの作曲家なんですよね。フリーになるきっかけはなんだったんですか?
酒井 もともと猫が家にたくさんいて、家で仕事なんて機材とか危なっかしいし、できない!って思ってたんですよ。でもコロナがきっかけで在宅勤務するようになったら、案外できるもんだなと感じました。岩垂さんも同じだと思うんですが、作曲の気づきやひらめきって、トイレだったりお風呂だったり、リラックスしているときに降りてきませんか?
岩垂 わかります。
酒井 次の日仕事場に行って打ち込むよりも、ひらめいたものをその場で作れたほうが絶対にいいんですよ。ひらめきをすぐに処理するようにしたら、ふだんと比べて10倍の速度で仕事が進んだので、それでフリーになろうって思いました。
岩垂 10倍って相当ですよね。もともとお仕事が速いとは感じていましたが…。ハル研時代も忙しそうでしたが、もしかして今が一番忙しいですか?
酒井 『スマブラX』と『MOTHER3』の開発期間が重なっていた時期が一番忙しかったですね。そこに「PRESS START」の立ち上げも加わっちゃって、譜面書いたりオケと調整したりでとんでもなく忙しい時期でした。
かなり遅咲きでオーケストラに興味を持つ
岩垂 でも酒井さんは忙しい時期でもペースを落とさずに仕事をこなしていた印象があります。
酒井 僕は完成したらすぐ曲を手放しちゃうんですよ。大抵のクリエイター職についてる方々は一晩おいて朝に見直して「あっここまずい!」って直すじゃないですか。僕はできたらもうさっと投げちゃって、上の人がいいっていうならそれでいいかって。
岩垂 酒井さんの、これだけの量をここまでに仕上げなきゃいけないからっていう気持ちで取り組む姿勢がとても好きです。中学〜ゲーム音楽業界と積み上げてきた音楽遍歴の中で、オーケストラにはいつごろ興味を惹かれたんですか?
酒井 実はそれが遅くてですね…。30代前半ごろなんです。『ヘラクレスの栄光Ⅲ』を開発しているとき、音楽はオーケストラでいこう、ということになり、最後にゲームへ入れ込む段階になって、サウンドスタッフたちと「実際に聴きにいこう!」となったんです。そこで初めて生のオーケストラで聴いたのが、スイス・ロマンド管弦楽団(※8)の「春の祭典」(イーゴリ・ストラヴィンスキー※9)でした。
※8 スイス・ロマンド管弦楽団:創設100年を越える世界有数のオーケストラ。毎年国連のチャリティーコンサートを開くほか、世界各地へのツアー、ジュネーヴ・グランド劇場でのオペラ公演も行う。
※9 イーゴリ・ストラヴィンスキー:ロシアの作曲家。1882年生まれ。代表曲に「春の祭典」「火の鳥」「ペトルーシュカ」など。
岩垂 初めてで、すごくいいオケ! で、最初にその曲ですか!
酒井 会社から仕事としてチケット代を出してもらえたので、高額な海外オケを聴けました。初めて生オケを聴いて、楽器の配置とかも含めいろいろ勉強できましたね。そこからオーケストラっていいなと思い始めたんです。それから都民芸術フェスティバル(※10)に行って、好きなオケを見つけたりして。一時期はオケの定期会員になるくらいハマってましたね。
※10 都民芸術フェスティバル 50年以上続く東京都の文化事業。毎年1〜3月に開催。オーケストラを始めオペラ、バレエ、現代演劇、日本舞踊や落語(寄席芸能)など、多岐にわたる公演を行っている。
あのとき出された宿題にやっと取りかかれる!
岩垂 酒井さんはこれまでに弦楽四重奏の曲を書いた経験はあったんですか?
酒井 実は1作品だけ、1997年に書き下ろしています。あるヴィオラ奏者の方に「レストランで弦楽四重奏やるんだけど、書かない?」と誘われて1か月で書き上げました。当時は今と違ってアナログで譜面を制作し、写譜も自分でやったので音間違いがあったんですが、譜面を渡したらそのヴィオラ奏者の方に「天才じゃないのあなた」って褒められましたね。
岩垂 初めてで、わずか1か月で書き上げたのもすごい。
酒井 それで演奏してもらったものを録音して、指揮者のときにアドバイスいただいた小野崎さんとかに配って回ったんですよ。そしたら小野崎さんから電話が来て「君ね、楽式とかちゃんと勉強しなさいよ」と言われてしまいました。「弦楽四重奏を聴くにあたって、主題があって展開があって、どういうふうに昇華されていくのかと期待していたのに…君の曲はドビュッシー(※11)のようにただ流れていくだけだね」と評されたんです。そのときに、確かに僕は楽式とか全然知らないなって気づきました。
※11:クロード・ドビュッシー。フランスの作曲家。1862年生まれ。代表曲に「夜想曲」「海」「月の光」など。
岩垂 弦楽四重奏ならソナタ形式(※12)とかですよね。
※12:楽曲の形式のひとつ。ソナタ形式曲の構成は基本的にふたつの主題の主題提示部・展開部・再現部・結尾から構成される。
酒井 そう! まさにソナタ形式です。僕は30代前半でオケを知って、30代後半になって楽式を知って、それって音楽家として実はやばいんじゃないか? と思いました。でも、それ以降ソナタ形式の曲を書くタイミングが来なかった。譜面を書くタイミングはもちろんあるんですが、ゲーム音楽の演奏会で譜面を書くときはソナタ形式で書いてはいけないんです。もし僕がある主題を取り上げてソナタ形式に沿って展開して再現して…としてしまうと、それはゲームユーザーにとっては聞き覚えのない曲になってしまう。街の曲をひとつ取り上げるよりも、戦闘とかフィールドとか…いろいろな曲を忠実に再現してメドレーとして聴けたほうが、ゲームユーザーとしてはうれしいですよね。
岩垂 ゲーム音楽の演奏会だと確かにそうですね。
酒井 それが正解ですよね。でも、昔弦楽四重奏を書いたときも同じく『ヘラクレスの栄光Ⅳ』で自分が担当した旋律を使ったメドレーみたいに書いていたので、それが心残りではありました。だからこそ今回のお話をいただいたときは「あのとき小野崎さんから出された宿題にやっと取りかかれる!」と思いましたよ。
ゲームの曲ではなく弦楽四重奏のための曲を
岩垂 ソナタ形式に沿って緻密に考えて曲を組み立てるのは、本当に大変ですよね。ゲーム音楽はそういうふうに作らないですからね。それをやるぐらいなら次の曲を作るってなる。
酒井 新鮮な感覚でしたね。ゲーム音楽では1ループ3分以上の曲って求められないですから。ソナタ形式でいろいろ展開していこうとすると、最低でも6分ぐらいは必要になってしまいますので。
岩垂 これまでのいろいろな思いがあって久々に書けるのがうれしい反面、プレッシャーも相当あったんじゃないですか?
酒井 正直「やばいなあ…」とは思いつつもお受けしました(笑)。クァルテット・ エクセルシオの活動母体で理事を務めている勝村努さんからのお話でしたが、最初僕は「クァルテット・ エクセルシオが小学校などへ行ったとき演奏できるような曲を作ってください」とという依頼だと勘違いしたんです。
岩垂 (クァルテット・ エクセルシオの皆さんとは)もともとお知り合いだった?
酒井 はい。僕に昔弦楽四重奏を依頼したヴィオラ奏者の方も含めて、全員飲み仲間なんですよ。だから、てっきりゲーム音楽関係の曲を書いてほしいのだと思いました。そうであれば権利関係もあるし、とお断りしたら「今回は30周年ということで委嘱作品を書いていただける方を探しています。酒井さんの新曲をいただきたいのです」と言われました。自分のオリジナル新曲と言われて「来た!」とは思ったのですが、30周年に対するプレッシャーはありましたね。
岩垂 30周年ってすごいですよね。
酒井 まずクァルテット・ エクセルシオという団体自体が弦楽四重奏を30年続けているという、なかなか類を見ない団体です。しかもただ続いているだけじゃなくて、4人のうち3人が創設当初から同じメンバーなんて、世界的に見ても稀じゃないかと思います。大抵は団体自体が長く続いていても、人はほとんど入れ替わりますからね。だからこそ30年で積み重ねた、あうんの呼吸で演奏ができるんです。たとえば30年連れ添った夫婦が「母さん」と呼ぶだけでなにがほしいかわかるのとかと同じで、そういう高みにいる方たちですよ。
50年後も恥ずかしくない曲を
岩垂 クァルテット・エクセルシオのようにしっかりとクラシックをやってきた方々が、ゲーム音楽の作曲家として長年活動してきた酒井さんの曲を演奏するって、なかなかチャレンジじゃないですか?
酒井 そうだと思います。でも、30年間技術を高めてきたクァルテット・エクセルシオだからこそ、僕も安心して曲を書ける、という側面もあります。それにしてもゲーム音楽の業界はだいぶ変わりましたよね。プロのオーケストラがゲーム音楽を演奏する機会が多くなりましたし、ゲーム業界側もしっかりとした譜面を作ろうという動きが出てきている。
岩垂 ゲーム音楽を作るときは、「お題」とかがあって場面に合う曲を作成していきますよね。今回の曲については、制約がないぶん自由に作るアーティスト的な側面を出す必要があったと思うのですが、そういった面で意識の違いはありましたか?
酒井 確かに僕らゲーム音楽作曲家には制約がある分、より作りやすくなっている面もありますよね。ゲームでは場面に合わせた曲を作るので、曲調をコロコロ変えたらびっくりさせてしまいます。でもクラシックは絵がない音楽のためにあえて対比・変化を入れるので、そういった意味での違いはありました。
岩垂 「好きに作ってごらん」とか言われてもちょっと困りますよね。僕らは設定があるところから作ってることが多いから、なおさらです。
酒井 そういえば今年出したCDには、当初弦楽四重奏のために作ってボツにした曲も収録されているんですよ。
岩垂 そうなんですか?
酒井 最初にEs Dur(※13)のEs(エス)をSHOGO SAKAIのイニシャルS・Sと掛けて自己紹介ってことで、Es Durの曲をふたつ制作する構想を練りました。弦楽四重奏はこれでいこう! と考えていたんですが、よくよくプログラムを確認してみると、僕の前がモーツァルトのEs Dur(※14)の曲だったんです。Es Durが続くのはまずい! と思って、作った曲をCDのほうへ回して、新たに曲を書きました。
※13 Es Dur:E♭。変ホ長調のドイツ語読み。
※14 モーツァルトのEs Dur:モーツァルト作曲の弦楽四重奏曲第16番のこと。
岩垂 モーツァルトのEs Durのあとに同じEs Durの曲を出すのは、確かに気が引けますね。
酒井 でも今回の弦楽四重奏の曲は、とにかく僕の中にある一番いいメロディだけを出そう! と思って書きました。50年後に「酒井省吾が書いた曲」として残っても恥ずかしくないと、自分が納得できるように作ることを意識しましたね。