任天堂ゆかりの地 工場編 ミュージアムに生まれ変わった宇治小倉工場の歴史も!
ニンテンドーミュージアムとして生まれ変わった任天堂 宇治小倉工場をはじめとし、任天堂に関連する京都府内の工場をみていきます!
社屋に続き、工場の歴史を知る
京都府に存在する任天堂ゆかりの地を、社屋と工場の2回に分けてご紹介しています。社屋について紹介している前回の記事もぜひご覧ください。
今回はニンテンドーミュージアムとなった宇治小倉工場など、任天堂に関連する京都府内の工場を紹介したいと思います。
※本記事では、「宇治小倉工場」について名称変更前(宇治工場)のできごとに触れる場合も「宇治小倉工場」と表現します
(文・写真 イッキ)
本社工場(1952年~1996年)
前社屋(現在の任天堂京都リサーチセンター 、マリオクラブ株式会社)の敷地内にあった工場。
1952年以前、任天堂は京都市内に分散して製造場を抱えていましたが、1つにまとめるため、前社屋敷地内へ集約移転を行っています。
当時の主力製品でもあるトランプ、花札などの製造を行い、1953年には日本で初めてプラスチック製トランプの開発に成功しました。さらに、1959年にはディズニーキャラクターを使用したトランプを発売し、任天堂の業績を大きく伸ばした時代を経験した工場でもあります。
1996年に宇治小倉工場に移転、統合されました。
宇治小倉工場(1969年〜2016年)
近鉄京都線小倉駅の近くにあった工場。現在は施設全体がニンテンドーミュージアムとして生まれ変わり、2024年10月2日より営業を開始しています。
宇治小倉工場は花札・トランプメーカーだった任天堂が室内玩具の製造も始めた頃に設立され、ウルトラハンドなど玩具生産の主力工場として活躍していたほか、商品の検査や入出荷作業を行っていました。
意外かもしれませんが、ポケモンカードも製造していたんです。
建設当初は「宇治工場」という名称でしたが、後に宇治市槙島町に全く同じ名称の「宇治工場」を建設したため、「宇治小倉工場」へ名称を変更しています。
そのため本記事中では、名称変更前のできごとに触れる場合も「宇治小倉工場」と表現します。
宇治小倉工場の歴史
宇治小倉工場を振り返ると、ほか3つの工場についても触れることになります。
「ニンテンドーミュージアム」公式サイトのトップページにも、「任天堂 宇治小倉工場の歴史について」という項目がありますので、その内容を基に時系列順に整理したいと思います。
1983年
宇治市槙島町に当時の宇治小倉工場と全く同じ名称となる宇治工場が建設されます。宇治工場の稼働開始と同時に、宇治小倉工場のメイン業務は宇治工場へ移管され、残った一部の工場業務や倉庫としての役割を担っていました。
1988年
名称の変更が行われないまま5年が経ち、やっと「宇治工場」から「宇治小倉工場」へ名称が変更されます。また、名称変更と同時に宇治小倉工場の増築も行い、商品の検査と入出荷作業も担うことになります。
1993年
宇治市内に3つ目となる工場、宇治大久保工場が稼働を開始します。宇治小倉工場に残っていた役割は宇治大久保工場へ移管されることとなります。
1996年
宇治工場、宇治大久保工場へ役目を引き継ぎ、大きな役目を終えた宇治小倉工場でしたが、前述の通り、本社工場が宇治小倉工場へ移転統合され、トランプ・かるたなどを製造します。
2003年
サービスセンターを併設し、ゲームハードの修理業務の受付を開始します。
2004年
再び工場としての役目を担っていた宇治小倉工場ですが、サービスセンターを残し、工場の生産部門全体が宇治工場へ移転されます。
2016年
さらに、残っていたサービスセンターも宇治工場へ移転されます。
以後、宇治小倉工場は倉庫として利用されることになりました。
以上が宇治小倉工場の歴史。ほかの工場と密接にかかわりがあった歴史のある建造物であることが分かると思います。
ミュージアム開業へ
任天堂は倉庫となった宇治小倉工場用地の活用を検討していましたが、宇治市による小倉駅周辺の再開発構想もあり、2024年にニンテンドーミュージアムの開業が実現しました。
リノベーションは施されていますが、ニンテンドーミュージアムとして一般の方も立ち入れるようになったのは、非常に価値があることも分かっていただけたかと思います。
ちなみに、宇治小倉工場の隣には今は使用されていない任天堂宇治社宅(A〜C棟)がありました。今後の用途は発表されていませんが、既に解体されており、もしかすると、こちらの用地も活用される日が来るのかもしれません。
▼ ニンテンドーミュージアムには宇治小倉工場の什器を残したエリアもあります。こちらの記事もぜひご覧ください!
宇治工場(1983年〜)
JR奈良線宇治駅、近鉄宇治線宇治駅から少し離れた場所にある工場。
ファミリーコンピュータの頃からゲームハードの製造を行い、そのほか、花札や百人一首などの任天堂製品の製造を現在でも行っています。
ニンテンドーミュージアムのショップで販売されている百人一首も宇治工場で製造されています。
先ほど書いた通り、宇治小倉工場から度々役目を引き継ぎ、現在は、任天堂公式ホームページに主な国内拠点として掲載されている唯一の主力工場、及びサービスセンターとなります。
宇治大久保工場(1993年〜2017年)
宇治小倉工場、宇治工場から少し離れ、近鉄京都線大久保駅の近くにある宇治大久保工場。宇治小倉工場の解説内にも登場した通り、宇治小倉工場から役目を引き継ぎつつ誕生しました。
ほか2つの工場と同様に修理業務や倉庫としての役割を担っています。
2017年からは任天堂グループでもある任天堂販売株式会社の京都物流センターとして使用されています。
ちなみに、吉村建築事務所が設計を担当しており、ホームページにも記載されています。
実は工場に関連した地名もゲーム中にひっそりと登場することがあります。
とくに『ピクミン4』にはさまざまな惑星が登場しますが、京都の地名と思われる名称が多く使用されています。その中から任天堂と関連のある名称をいくつかご紹介します。
ホコタテ星
ピクミン1、ピクミン2の主人公、オリマーの出身星として有名なホコタテ星。
現在の本社の所在地、京都市南区上鳥羽鉾立町が由来となっています。
カギヤ星
旧本社(丸福樓)の所在地、京都市下京区鍵屋町。
ウジ星
今回取り上げた工場がある宇治市。
オグラ星
宇治小倉工場がある宇治市小倉町。
(なお福岡県北九州市にも「小倉」という地名が存在しますが、こちらは「こくら」と読むのだとか)
オークボ星
宇治大久保工場がある宇治市大久保町。
カルタ星
地名ではありませんが、任天堂がかるたを製造していたことが由来と思われます。かるたは花札、トランプなどの総称です。
コッパイ星
同じく、かるたを表すコッパイ(骨牌)星はピクミン3の主人公、アルフ、ブリトニー、チャーリーの出身星でもあります。
残念ながら『ピクミン4』に彼らは登場しませんが、コッパイ星出身の団員が数人登場します。
(なぜか彼らとよく似た…いや、似すぎた境遇や見た目となっていますが)
ほかにもフクイネ星、ニジョウ星などが確認できます。
さいごに
今回ご紹介した内容を1枚の図にまとめました。改めて図にすると宇治小倉工場を軸に役割の移管が多かったことが分かります。
さて、2回に分けて、任天堂の社屋と工場についてまとめました。
ニンテンドーミュージアムの開業もあり、任天堂の歴史に興味を持たれた方も多いと思いますので、「こんな歴史があったんだ!」と気付くキッカケになれば幸いです。
▼こちらの記事もお楽しみください