【オープン記念インタビュー】宮本茂さんに訊く「ニンテンドーミュージアム」「どうして任天堂がこんなものを作るんだ」と思ったのなら正解
2024年10月2日にオープンを迎える「ニンテンドーミュージアム」内覧会にて、任天堂・宮本茂さん(代表取締役フェロー)のグループインタビューが行われました。その模様をお届けします。
任天堂の過去の資産を残して「任天堂とはなんなのか」を理解してもらう
任天堂社内でも“任天堂らしさ”を維持していかないといけない
―― なぜニンテンドーミュージアムを作ったのかをお聞かせください。
宮本 語れば長いんですが、皆さん、だいぶ任天堂のことをご存知だと思いますので「どうして任天堂がこんなものを作るんだ」と思われたのなら、正解なんです。
これまで“あまり自分たちの説明をせず、お客さんとは商品を通じてコミュニケーションをする”という(姿勢)を決めてきました。今回ミュージアムを作ろうと決めたとき、一番心配したのは山内(山内溥さん、元任天堂社長)がいたら「そんなもんやめとけ」と言うだろうな、ということでした(笑)。
作ることに至ったのは、まず何年も前からずっといろいろな資料を残してきたからなんですね。
特にアーケードゲームの頃の資料などは、ゲームが動かないと意味がないので、動く状態で置いておくのもすごく大変です。それ以外にもゲームもライセンシー(サードパーティ)のソフトも含めると、毎年何百本と残っていきます。それをパッケージのまま置いておくのではなく、管理していかないとしょうがないというのもありました。
もう一方で、僕は毎年入ってくる100〜200人の新入社員に向けて任天堂の説明をする、新入社員セミナーみたいな講座を行っているのですが、そこで2時間かけて話していたことが2時間半になり、3時間になってと膨大な内容になってきました。
そのほとんどが「任天堂とはなんぞや」ということを説明する時間なんですね。
話はそれなりに面白がってはくれるんですけど、20年ぐらいそれを続けていると「もういいかげんに引退したいよな」と思うようになってきて。その時に話していることが、結構ニンテンドーミュージアムの展示のベースになっています。
任天堂社員からも、開発の中で例えばWiiを作るときなんかはウルトラマシンに思い入れがあったり、ラブテスターという得体の知れない“2人の愛情度を計ります”というとても怪しい商品、あれを1万5000円で売っていたのかっていう(笑)、そういう商品に思い出があったり、任天堂愛の高い開発者がたくさんいて。Wiiのときにはそういう人たちが積極的に開発をしてくれたんです。
それが今の『ゼルダ』などで、300人、400人とかの人たちが作るようになって、さらに何千人っていうスタッフになってきたときに、果たしてそうした気持ちを残していけるのか、引き継いでいけるのかと。任天堂社内でもそうした“任天堂らしさ”を維持していかないといけないよねって話題になっていきました。
そんなことを話しているときに、宇治には3つの工場があるんですが、ちょうどこの一番古い宇治の工場が製造ラインも配送もやらないというので、どうしようかと。極端な話「売ったらいいんでは」という話もあったんです。でもここは工場の創業の場所なので、なんとか残していきたいなと考えているときに「ミュージアムにしたらどうですかね」って話題が出てきました。
鳥羽街道にももともとの本社があって、そこにも工場があったので、どちらかの場所を使ってミュージアムをやろうと決めたんです。結果的にバスのアクセスなども考えて宇治小倉の方に決めました。だから、いろいろな諸条件が集まってきたんです。
任天堂の過去の資産を全部残して、それを通じて「任天堂とはなんなのか」を理解してもらう。
だとしたら社員だけじゃなくて、今は親子三世代まで任天堂のことを知っている人が出てきてくれたので、その皆さんにも見てもらって、任天堂をわかってもらえたらいいなと。そうすることで、ハイスペックとかこの性能をどうするかといった、“ゲーム機戦争”とか呼ばれる競争に任天堂を巻き込まないでほしいと(笑)。
任天堂は今の世の中のいろいろな技術を使って、任天堂らしいものづくりを続けていくし、ゲームに限らず映像もやっていきますし、いろいろなエンターテインメントのコンテンツを作っていく会社なんです、ということを理解してもらうのにいいきっかけなるかなと作りました。
―― 親子三世代という話がありましたが、各世代にどのようにミュージアムを楽しんでもらいたいですか? そして海外にもこのような施設を作る考えはありますか?
宮本 まず三世代については、自由に見てもらえればいいです。誰に見てもらうということもなく、自分に思い出のあるものを見ていだだけたらいいですし、どちらかというと僕らがそこで面白い発見ができたらもっと良いかなと思います。
また、すべてをローカライズしてはいないんですけど、海外の人にも見てもらうことを前提に、できるだけ見てわかる展示に徹しています。体験コーナーも、百人一首など日本語のものをやっていいのかという考えもあったんです。百人一首協会には怒られるかもわからないですけど、百人一首は本来字札が取り札ですが、絵札を取り札にしています。しかも、お姫さんとかお坊さんとかを踏みつけて歩いているという(笑)。
そういったいろいろな体験をしてもらって、グローバルにいろんな人たちに任天堂が面白いことをインターフェースも含めてわかりやすく、使いやすく伝えることが上手な会社なんだとわかってもらえればいいなと思って作っています。
海外については、あちこちに展開するつもりはありません。
先ほどお話ししたようにビジネスで展開しているのではなく、任天堂の社員が任天堂を理解する目的で作っているので、どちらかというと今後、この中でどう広がっていくのか。
例えばこの部屋(インタビュー会場)は、僕は勝手に「アートギャラリー」と呼んでいまして、(会場奥を指して)その辺りからマリオのドット絵とか、地形のラフスケッチ、最終スケッチがあって(ぐるっとまわって)この辺りにくると『スプラトゥーン』や『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』といったイラストが飾られる場所になっていきます。将来、映像も増えてきたら、どこかで観てもらえるようにしたり。これからの任天堂の展開に合わせて広がっていくと思います。
―― 展示エリアの中で宮本さんが設計したものや、思い入れ深い記念品をひとつ選ぶとしたら何でしょうか?
宮本 どれに思い入れがあるか、意外に限定できないので午前中の取材でも聞かれて悩みました。
僕は業務用の『ドンキーコング』を作りファミコンに移って、それらはすべて思い出深いんですが、それ以降の各ハードを設計していくときも、各コンセプトごとに思い入れがあるので、あまり特定・限定できないんですね。
自分が設計したという意味では、業務用の『ドンキーコング』は社外のプログラマーと一緒に箱もイラストも含めて全部設計しました。あとは「ブロック崩し」「レーシング112」などは僕が入社当時にした仕事で、筐体の設計までしました。
ただ、すべてに思い入れがあります。
とくにミュージアムの各ハードウェアの展示の外側はすべてコンセプト展示になっているんですが、そこを見てもらえると、任天堂が世界で初めてやったこと、任天堂が多少無理をしながらチャレンジしたこと、このハードで初めて生まれたキャラクターなどがわかりやすく展示されています。そして、そのハードのテーマ「ゲームが変わる、64が変える」といった心意気も書いてあります。
個別展示という意味ではちょっと離れるんですけど、大型のコントローラーがある1階のフロアの横にコントローラーだけの展示をしている場所がありまして。
新入社員研修でもやるんですが、この“コントローラーの進化”が業務用の『ドンキーコング』からはじまり、「ゲーム&ウオッチ」にその業務用の機械をどう移植するかの流れで十字ボタンが生まれ、ファミコンにも入り、それがジョイパッドのスタンダートの原型になっていく。そしてL、Rボタンがスーパーファミコンで付き、N64でアナログのスティックが付く。そこからWiiでモーションコントローラーとか、ポインティングといったいろいろな技術が足されていく。
そのほとんどがゲーム機では世界初で、一応僕らのプライドにしています。そういった“コントローラーの進化”の展示で取りまとめているので、よかったら見てください。
―― ミュージアムでの発信は、中長期の任天堂の成長戦略にどう活かしていくのか。どういった位置付けになるのかをお聞かせください。
宮本 倉庫で眠らせておくのがもったいないので、社員も含めて皆さんの前に出したのが目的で、あまり中長期的な戦略とは関係がないんですね。
そして三世代いろいろな人たちがミュージアムに来て、「任天堂って普段言われている競合メーカーとか、新しい先端の技術とか、全然関係ないところにある会社なんだな」って思ってもらうのが一番大事なことだと思っています。
当然技術研究もしていまして、今までアナリストさんとかに「どうしてネットワークをやらないんだ」「モバイルはどうなんだ」「先端のチップをどうして使わないんだ」など、いろんなことを言われてきました。でも、よく冷静に展示で流れを見ていただくと、ちゃんとやっていることがわかると思うんです。
任天堂は一番適正な売りどきがきたときに商品化をしているという歴史が見てもらえると思います。それを見ていただいて任天堂を信用してもらう。中長期展望でいえば、株主の皆さんにもIR的にも“任天堂を信用して我々に任してください”という意味ですかね。
任天堂を選んでもらえる理由を作る
―― ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの拡張エリア「ドンキーコング・カントリー」など、任天堂IPに触れる人口の拡大をされている中で、ニンテンドーミュージアムは親子三世代が楽しめる非常に有効な手段だと思います。今後IPの拡大でどのような企業像を目指していくのでしょうか?
宮本 2階の壁側にキャラクターをテーマにした展示がありますし、1階のミュージアムに入るところのウェルカムゾーンにもキャラクターを置いています。(このミュージアムでは当初)今までの商品やハードウェアの展示を中心に作ってきたんです。
でも任天堂全体を理解してもらおうとすると、IPを見てもらうのが一番ということで、そのような場所を作りました。で、今はこのIPを知ってもらって任天堂のゲームに戻ってもらう窓口として、IPやテーマパーク、映画があるように動いています。将来でいえば、任天堂というIPという大きなブランドの中に、当然ゲームはあるんですが、それ以上に魅力的なものを作っていけたら、もっといろいろなものが中に入っていくイメージで考えられたらと思っています。
で、やはり皆さんが覚えているのはIPなんです。ゲームは新しいバージョンに変わったら動かなくなりますから。でも、これがすごく寂しくて。
映像を始めたのも、実はバーチャルコンソールでしか僕らが作ったものが遊べなくなっていく寂しさもあって。ミュージアムで遊べるようにしても限界がありますけど、映像はいつまでたっても残るというのもあります。
そういうものがどんどん増えていって任天堂全体が大きなブランドになる。僕はいつも言っているんですが「任天堂を選んでもらえる理由を作る」というのテーマにしています。小学校1年生になったときに「じゃあ任天堂の何を買おう」といった、何のゲームとかじゃなくて「小学1年生になったら任天堂を買ってあげる」みたいな世の中になったらいいなと思っています。
―― ニンテンドーミュージアムのロゴの色味はどのように決められたのでしょうか?
宮本 あまり深い意味はないですよ。このロゴのスクエアタイプは、NintendoTOKYOなどのオフィシャルショップも赤地に白字で展開しています。でも、あれはセールスのために使っているロゴで、任天堂も事務関係にはグレーを使っていますし、ここは歴史展示ですから、真っ赤ではないなということは決まったんです。つまり、意味合いとしては販売系統と分けるというのが大きな目的ですね。
僕は「パープルにしてくれ」と言っていたんですけどね。なぜって京都だから(笑)。単純にパープルのNintendoをやりたかったんですけど、現場としては建物全体をシックにおさえているので「パープルは色がきつすぎる」と。
でも実は内部では「ミュージアムパープル」と呼んでいるんですよ。なぜ呼んでいるかといえば、僕が「パープルじゃないやないか」と言うから、言い訳のようにパープルと言っているんですけど、これはグレーです(笑)。
―― さまざまな作品が京都から生み出されたということで、娯楽を生み出すうえでの京都の土地の魅力はどのようにお考えですか?
宮本 いろいろな視点であちこちでお話することはあるんですけど、とくに一般に言われる京都の文化を大事にするとか、京都の伝統を守って何かを作るということではないんですね。
ひとつは山内がこれを作ると聞いたら「やめとけ」と言うとお話したように、それぐらい「とにかくおごるな」と。京都は盛者必衰というか平家物語ですし、方丈記は「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」ですし。このフレーズが大好きなんですが、それは京都にいるからかもしれません。
僕らもその中で流れているんですけど、澱まずにずっと流れている状態をどうやって維持したらいいのか、そして“おごるな”と。必ず栄えたものは滅びる、そのためには新しい栄えたものを作っていく。この考え方というのは、エンターテインメントの会社には一番大事なことかなと、山内の教育を受けた者として考えています。
そしてもうひとつは京都にいたことで、一時期30歳くらいになると「デザイナーとしてダメになる」「東京に出て行かなきゃ」とか、いろいろなことを言われたり、自分でも思ったことがあるんですけど、そのはしかのような頃を過ぎて、40歳ぐらいまでここで仕事をしていると30歳ぐらいで仕事を始めた仲間が一緒にずっと仕事をしていて、作ったものが世界で売れているんです。
それはなんでかなと思うと、東京に行くと東京で流行っているものに誘われて、日本で売れるものを作る。でも、逆にそれをすることで日本でしか売れないものを作っていることにわりと気づかないんじゃないかと思ってきました。
だから、僕は社内では「東京ローカル」と言っていまして。これは京都がグローバルという意味ではなくて、東京もローカルで、そういう思想なら(東京ではなく)せめてニューヨークって言えよって思うようになりました。どうしてそういうことを言えるようになったのかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。
たぶん、僕は丹波の田舎の出身なので、田舎のコンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか思ったかもしれませんけど、ここでのんびり仕事ができたというのは、京都にいるとそれなりの人も残ってくれるし、京都に好きな人が働いていて、京都の中で何をするかというと、自分らが感じるものを周りに踊らされずに信じるものを作る。その結果、結構世界中で売れている。そうなると一番内部にあるものがグローバルで、グローバルと言われているものは別にグローバルじゃないって、40歳ぐらいで思うようになりました。今はそれを若手に吹き込んでいます。
ミュージアムの話と関係ないですね(笑)。
―― ミュージアムをみて、任天堂の歴史と変化を感じます。引き継ぎたいことも含めて、将来の任天堂に何らかのヒントを得られますか?
宮本 さっきのIPに関わる部分は新しいものになっていくと思うんですけど、見ていただいてわかるように、基本的に50年、60年ぐらい前からの遊びをその世代に合わせてグレードアップしたり、リニューアルしています。
小学生時代は6年しかないわけですが、その時代に経験することって毎年繰り返していくんですよね。そうするとそこの世代に合わせたレイヤーのものは常にあると思いますから、それだけでも大きなビジネスになるかなと思っています。
また、ここまで積み上げてきたので、その流れからあまり逸脱していないものを皆が作ることで“任天堂らしさ”というのができていくと思いますし、一方でチャレンジをいつもしています。変革を望まないのではなく、チャレンジで新しいものを作っていきますが、ベースに流れているコンセプト、それは家族であったり、遊びであったりわかりやすさであったり、そこはちゃんと守っていこうというのが社員に根付いていけば、ずっと新しい任天堂が膨らんでいくと期待しています。……引退の言葉みたいやけど(笑)。
―― 2階の展示物は解説の文章が少なく見てわかる展示となっています。それはワールドワイドを意識しているのでしょうか。任天堂の社員の方に説明するにも文章はあったほうがいいように思うのですが、そのあたりはどうお考えですか?
宮本 将来、ガイドがいるんじゃないか、もっと詳しい解説が求められるというのはその通りだと思います。
そのあたりはこれからまた考えていこうかと思っています。ただ、今回は解説を用意するにもものすごいボリュームになるなぁという心配や、皆さんも全部の展示物に興味があるわけではないですよね。
あと批判するわけではないですが、一般的に日本にいると回ってくる美術展が多過ぎて、じっくりと見る構造になっていない場合がありますよね。入口のあたりに大量に人が溜まって、歴史年表を読んでいる。で、奥に入ったら大事なものがわりと簡単に見られるといった。そういった構造の展示にしたくないなと思ったんです。入ったら自由に見られ、くどくど解説を読まずに自分で感じてもらうことを大事に考え仕上げています。
ですが、いずれ詳しい解説図録を作ったりはしていきます。
商品でコミュニケーションをしよう
―― このミュージアムは館長がいないということでよろしいでしょうか?
宮本 とくにいないですね。でもミュージアムの専属スタッフとそのマネージャーが何人かいて、どうしても館長という肩書きが必要なときは出てくると思います(笑)。
―― ミュージアムを見ると、人の写真や人の名前がほとんどありません。「人」というものを消した状態でこれだけの展示ができるのは過去に例がないことだと思いますので、生涯館長なしがいいなという事実確認と感想を述べさせていただきました。
宮本 僕、名誉館長になりたいなーと思っていたんですが(笑)。
ただ今おっしゃっられたことははすごく大事で、山内の色紙を置いたりはするんですけど、基本的に横井さん(元任天堂の横井軍平さん。十字ボタンやゲームボーイの生みの親)の名前も出すのかをすごく悩みました。結果的には一切出さずに商品でコミュニケーションをしようと。
ただ言い訳がましいのですけど、玄関を入ったところの左手に僕のサインがありまして、あれが唯一個人名が出ているのですごく心苦しいんです。
あれは実は建物を建てるとき、皆で基礎にサインをすると。サインをして埋めて剥がしたときに出てくるもの、ということで書いたんですね。
ただ誰もその後に書かず、「せっかく書いてあるんだから見せたらどう」って、窓をくり抜いて見せているんです。ここ数か月、あれを何でふさごうかという話をずっとしているんですけど「あってもいいんやないか」という社員も多くなってきたので今のところ残しています。申し訳ないですけど。
それ以外には個人名はほとんど出てこない構造にしています。
そして、名誉館長のほうはなにとぞご検討ください(笑)。
―― オープンに合わせて京都や地元の宇治市を取材していると、すごく期待している声が聞こえてきます。宇治や京都にとってどのような施設になっていきたいかがあれば教えていただけますか。
宮本 ここを建てるときに工場を使おうというのは決まったコンセプトだったんですね。
派手なお城みたいなものを作るんじゃなくて任天堂らしい。ところが、鳥羽街道にも旧本社があるんですよ。
そちらを使うのかここを使うのかって結構議論したんですが、バス等の交通の便が良さそうというのと、もうひとつは小倉エリアというのはだいぶ高齢化が進んでいまして、我々も工場を最初にもった場所なので、そこが活性化するのであればぜひとも協力したいという思いもあって作りました。
宇治市さんとか近鉄会社さんにも非常に協力をいただいています。これからちょうど近鉄小倉の駅前のロータリーが都市計画で準備されていまして、そこができるとミュージアムまで真っ直ぐお客さんが来られるようになり、地域と一緒に近隣の方に嫌われない場所になれるように展開していきたいと思っています。
また、まだ近鉄の小倉駅はバリアフリーになっていないんですよね。ちょっと迂回した踏切を通るようになっているので、ここも近い将来バリアフリーにしていただけるなど、そういう展開もいろいろとすすめています。
―― これから任天堂が出される製品もミュージアムで追加展示されていくのでしょうか?
宮本 もちろん。展示して残していく価値があると思われるものが作っていけたらの話なんですけど。ただ今の段階で(館内スペースは)埋まっているので、何かをズラしてというよりは、将来もう少し溜まったら場所を考えるなど含めて展開していけたらと思っています。
―― 新しい資料を展示するとなったら新しい場所を用意するということでしょうか。
宮本 そうですね。今のコンセプトでいくと新しいものはどこかに保存してはおきますけど、それをどこかで見せないと皆さんが忘れてしまうなという頃になってからだとは思います。だから『スプラトゥーン』とかはまだミュージアムの中に展示として入れてないんです。
今はNintendo Switchのハード以外は20年以上経ったものばかりなんですね。ただ今のお客さんには「『スプラトゥーン』がないのはどうなってんだ」と言われると思うので、そういうものはフォローしていこうとは思いますけど、まだ現存で市場にあるようなものはミュージアムの対象ではないと思っています。
―― 今後、ミュージアムにどんなコンテンツが増えていくのか、任天堂はどういう会社になっていくのかの将来像をお聞きしたいです。
宮本 それは次の世代の若い人たちがどんなものを生み出すかで決まっていくものです。1枚のカードでガラッと市場が変わるのがこの娯楽の世界の面白いところなので、それぐらいの革命が起こったらいいなと。革命を起こす人たちの下地を作るのに最低ここまでは理解してね、ということかなと思っています。
―― 体験コーナーですが、現在の10コイン設定ではすべてが遊べません。1回で遊べないようにした理由について教えてください。
宮本 フレキシブルに対応できるためのコインシステムは皆で決めたことです。これは実際に運営をしてみないとわからないのですが、僕は長蛇の列が大嫌いでして、どんなに有名なラーメン屋でも5人以上いたら並ばないんです。ですので、ここもやっぱりスムーズに遊んでほしいなと思っているのですが、それでも採算の問題もあって1日大勢の人に入ってもらわないといけない。そういうところでとりあえずの数字を決めて運営しています。
今後、様子を見ながら少しコインの枚数をサービスしたりしてもいいかなとは思っていますが、状況を見てこれから運営側が決めていく形ですね。今、全部を遊んでいただくと1日に500人ぐらいしか入ってもらえないんですが、1500〜2000人ぐらいは最低入っていただけるようにして運営したいと思っていますので、今のコイン枚数でも厳しい状態になるのはではないかと覚悟して試しています。
―― リピーター狙い、何度も来てほしいという考えなのかと思っていました。
宮本 それもありますね。たぶん展示を見きれないですし。ワーッと見て満足して帰るんだけど、いろいろなものを見逃していると思いますので、もう一回来ていただけるのは歓迎です。入館料もできるだけ安く抑えようと、これもかなり努力はしたつもりです。
Nintendo DREAM WEBでは、館内のガイドを兼ねた目次ページとともに、内覧会で実際に体験した様子をレポートしています。これから行かれる方はぜひ参考にしてみてください。
<施設情報>
開業日:2024年10月2日(水)
所在地:〒611-0042 京都府宇治市小倉町神楽田56番地
開館時間:10:00~18:00
休館日:毎週火曜日(祝日の場合は営業。翌水曜日が振替で休館)および年末年始(12月30日〜1月3日)
チケット購入方法:抽選販売。来館の3か月前より受付を開始 ▶︎チケット申し込みページ
料金:大人(18歳~)3,300円(税込)
中学・高校生 2,200円(税込)
小学生 1,100円(税込)
未就学児 無料
交通アクセス:近鉄京都線「小倉駅」東口から徒歩5分
JR奈良線「JR小倉駅」北出口から徒歩8分
※18歳の高校生の方は「中学・高校生チケット」をお買い求めください。
※小学生以下の方は保護者の同伴が必要です。 小学生のチケットを購入する際は、必ず大人(18歳~)1名以上のチケットを一緒に購入してください。
※未就学児の障がい者は無料、それ以外の障がい者は小学生と同額です。同伴者1名も小学生料金で入館いただけます。当日、入館時に「障害者手帳またはミライロID」をご提示ください。
※チケットの抽選申込・購入にはニンテンドーアカウント(作成無料)が必要
※ご来館の際は、公共交通機関(タクシー除く)を利用してください。
<関連リンク>
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