糸井重里さん『MOTHER3』インタビュー(2006年7、8月号より)
ニンテンドードリーム2006年7月号より
[ 1 ]開発再開は絶対ムリだと思って生きてきた/ホットケーキを焼くのとはワケが違う
[ 2 ]開発の最後に完成した「愛のテーマ」/マジプシー心をわかっている糸井さん
[ 3 ]「おじさん」としてつくりたかった『3』/おおよろこびで考えた、ポンプキマイラ
[ 4 ]オケラで『2』のブンブーンを思い出す/糸井さんの歌がセーブカエルの原点?
[ 5 ]名前をつけるのは実はすごいこと/ゲームならではの凄みがある
ニンテンドードリーム2006年8月号より
[ 6 ]「いい人」になった糸井さん/セリフを書きながら、泣きそうになった
[ 7 ]徹夜明けの街を歩くようなエンディング/55億年後になくなる地球
[ 8 ]ゲームの5割はユーザーのなかにある/55億年たっても生きてるポーキー
[ 9 ]ヨクバとネズミと松尾和子/フリントのひみつ、ドアノブのひみつ
[ 10 ]まだまだ続く糸井さんと『MOTHER3』話
僕らの命に 終わりがあるのと同じように、
世界もいつかは終わる。
徹夜明けの街を歩くようなエンディング
―― そもそもラストで兄弟を戦わせようっていうのは、はじめから構想としてあったんですか?
糸井 ありました。今回はああいう結果になりましたけど、もっとバッドな選択肢はいくらでもあったわけですよ。
―― たとえば?
糸井 たとえば、向こう側から主人公たちを見たらどんなだろうとかね。それはもう一杯ありましたけど。でも、もうラストだけは、いろんな選択肢があるってことがわかっていたから、それを白紙にした状態で、制作チームには悪かったんですけど、エンディングがどう転ぶかわかんないぞって状態でつくっていったんですよ。それは「俺にもわからん」って。
―― ほかの部分がどんどんできていっても、ラストだけは決まっていなかったと。
糸井 そういうつくりかたは、宮崎(駿)監督と同じなんです。〈注16〉宮崎さんも最後の場面は「自分にもわからん」っていうつくりかたなんですよ。そういう方法をとらないと、自分をビックリさせながらつくることができないのかもしれない。
―― なるほど。
糸井 N64版のときは逆に、セリフがまったくないラストを考えていたんです。画面で想像させておしまいにするつもりだったので、もっとあいまいにしたかったんです。
―― あいまいというのは?
糸井 ドラゴンが復活してどうなったんだろうっていうことや、希望はあったのか……っていうことが、なんとなくわかるくらいのエンディングだったんです。今回でも、はたして希望があったのか……といった疑問に感じるところは共通していますけど、登場人物みんながへっちゃらっていうような、人間の強さみたいなものを今回は表現できたので、N64版よりもポジティブになりましたね。
―― ラストでドラゴンが復活して島が滅びていきますけど、みんなちゃんと生きてるわけですね。
糸井 そうなんです。だから、その人間の強さを出すためにも、どうしてもヒナワさんや、クラウスたちがしっかりと「さよなら」をしてくれないといけなかったんです。
―― そうだったんですか。
糸井 ラストバトルのテーマはまさにそこにありましたね。
―― 最後にリュカがハリを抜くことができたんですけど、もしクラウスだった場合の結末は……?
糸井 クラウスが抜いてたらどうなっていたんでしょうね。きっと、起こることは同じなんだけども、最後に何もかも、息の根が絶えていたんでしょうね。ドラゴンさえもね。
―― ドラゴンさえもですか。
糸井 うん……ドラゴンさえも。そんな結末だと、作者自身も生きてないから、書きようがないってことなんでしょうね。私さえも生きていないと。そんなエンディングは、やっぱりあってはいけないよね。たんなる哲学にしか過ぎないもん(笑)。
―― N64版のときは、エンディングを迎えると「徹夜明けの朝のように真っ白になる」とおっしゃってましたよね。
糸井 今回もそのときと似てますよね。だから、あの「END?」の場面は、「終わったね」と言って、朝を迎えて、制作者と登場人物、それにプレイヤーが一緒に、ゴミだらけの街を歩くような感じ。だから、このあたりのことは徹夜明けの街を歩いたことのない「子ども」にはわからないかもしれない(笑)。
55億年後になくなる地球
―― 最後の最後にロゴマークの文字がすべて木になって、『MOTHER3』の「O」の部分が地球になりますよね。
糸井 そうなんですよね……。
―― それにはどんな想いが?
糸井 もしかしたら世界って、また何度もこうやってやり直すんじゃないのかなっていう気持ちが、自分のなかにあったんです。人間って、どっかで永遠があると思って生きていますけど、実は永遠なんてどこにもなかったりするんですよね。僕が大人になってから知ったいろんな情報のなかで、自分の生きかたに影響を与えた知識っていうのがいくつかあるんですよ。そのひとつが、55億年たつと地球はなくなってしまうってことなんです。
―― 永遠の存在に思える地球も、いずれは滅亡しちゃうと。
糸井 地球は46億年前に生まれたって言われてるけど、その残りがあと55億年しかないんだって、言葉でカンタンに言えちゃうわけですよ。だから、55億年後に地球がなくなるという、エンディングが前提にあって、そのなかで僕らは試合をしてるようなものなんです。僕らは、最後にはなくなってしまう世界のなかで、助けあったり、憎みあったり、愛しあったりしてるんです。地球がなくなるときには他の星に行ってるさっていう言いかたもあるんだけど、その星だっていつかはなくなるわけだし。〈注17〉
―― そうですよね。
糸井 僕らの命に終わりがあるのと同じように、僕らが考えてるいちばん大きな世界もいつかは終わる。それを知ってしまったっていうことに、ある意味の爽快感があったんです。世界は永遠に終わらないって考えるから、さまざまなことを無限に良くしていきましょうっていう考えかたが生まれてくるわけで。
―― それは当然の考えかたですよね。
糸井 そう。でも僕はその、無限に良くしていきましょうって考えかたは自己否定だと思ってるんです。だって良いとか悪いとかっていうことも、そのときどきによって変わってくるわけだしね。それに、世の中をどんどん良くしていくためにお前を殺しちゃうぞっていう、危険な考えかたも起こってくるかもしれない。たとえば戦争がそうじゃないですか。
―― そうですね。
糸井 でも、55億年後には地球がなくなって、どうせなにもかもが終わってしまうんだからっていう知識をひとつ知っただけで、そういう方向に引っ張られていかずにすんだ。いずれ終わってしまうからこそ、いま生きているすべてのものが肯定できるんじゃないかって思えたんです。
―― 地球上に存在しているものは、どんなものであれ、認めようと。
糸井 そう。たとえば、世界がひとつの壮大なゲーム盤だったとしたら、そこでは、オケラまでもが登場人物なんだよっていうようなもの(笑)。悪人もそうだし。お前のような悪人ごときも、このゲーム盤では、登場人物としてあつかっているんだぞ!って、このゲームでは言いたかったんです(笑)。
―― オケラも、悪人も(笑)。
糸井 そうです。地球が55億年後にはなくなるっていう知識は、逆に僕を勇気づけてくれるんですよ。どうせなにもかも終わっちゃうんだったら、やっぱり自分の寿命のあるうちにさ、生きてきてよかったな~って思いたい。精一杯自分がここに生まれているっていうことを、発揮して死にたいんです。それが、良いことでも悪いことでもね。もちろん、人に迷惑をかけるのはいけないことだけど、明らかに困ったヤツがいたとしても、それでも僕は「お前が生まれた理由がわかった~っ!」って思って死にたいんです。そういう生きかたを精一杯してから死にたいんです。みんなにもそうしろって言いたいんです。人類にもそうしろって言いたいんです。
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