[特別企画]『ドラゴンクエストXI』内川毅 ×『モンスターハンター:ワールド』徳田優也 同世代ディレクターが語る「モノづくりの原点」
●子供の頃に作ったもの
―― さきほど、徳田さんが「テーブルトークRPGを作っていた」というお話をされていましたが、お2人は子供の頃、何か作ったりはしましたか?
内川 僕は小学生の頃に迷路を書くのが大好きで、画用紙いっぱいに緻密な迷路を書いては友達に「面白いだろ」って遊ばせてました(笑)。
徳田 「やってみて」じゃなくて「面白いだろ」から入るんですね。
内川 そう(笑)。あとハイパーカード※っていうゲームを制作できるソフトがあったんです。それでボタンを配置してクリックするとページがジャンプするようなシンプルなものが作れたので、『ポートピア』の真似事みたいなものを作ってました。で、兄だけじゃなくて弟もいるんですが、それを弟にやらせてました。「面白いだろ」って言って。
1987年にアップルコンピュータ(現アップル)から発売されたマッキントッシュ用ソフトウェア。
―― お兄さんから内川さん、内川さんから弟さんへとやり取りは受け継がれるんですね(笑)。
内川 そう思うと、いろいろなものを作ってましたね。「カードダス※」も流行ってハマりましたけど、あれも作ってました。ダンボールにサランラップの筒とかを使ってカードが排出される仕組みを入れて。で、それも弟にやらせてました。
徳田 本体自体を作ったんですか?
内川 ええ。あとカードもオリジナルで作りました。
徳田 どんなカードを?
内川 えっと「人体の不思議カードダス」とか言って、「盲腸」とか出てくるの。
徳田 それを弟に?
内川 そう。勉強にもなるでしょ。
一同 (笑)
徳田 僕もカードダスはハマったし、作ったりもしたんですけど、純粋にカードの方だったから、内川さんとは違う作り方だったなぁ。というのも設定されている性能に納得がいかなかったんですよ。だから自分で性能を上書きして遊んでました。例えば「ガンダム」のカードダスだと「ジ・Oはこうあるべき!」とか言って。
内川 「百式はもっと強いだろ!」みたいに自分のパラメータを入れていくんですね。
徳田 そうです。結局、手に入らないカードも多かったからっていうが大きかったんですけどね。しかし、内川さんは手先も器用なんですね。本体機能までいくとは。
内川 パチンコとか、作るのがとにかく好きだったんです。やっぱり当時は全部がアナログなので、何かを見て面白いと思ったら、見よう見真似で、それをいかにダンボールとかで作るかみたいなことを考えていましたね。で、遊ばせるのが弟だから、わりと作りが甘くても「楽しい」って言ってくれる(笑)。
徳田 でも、それは一種の成功体験じゃないですか。
内川 そうですね。
徳田 それはすごくいいことだと思うんです。僕はテーブルトークRPGで、自分の世界やルールを作って友達を集めてやっていたんですが、大学の時の友達が本当にドハマりしてくれたんです。「君がゲームデザイナーにならなかったら、世界の誰がなるっていうんだぁ」って(笑)、「僕は世界一の君のファンだ。ゲームが出たら100本は買うぞ」とずっと言ってくれたんです。
内川 最高の友達じゃないですか。
徳田 就職した後も僕が携わったゲームが出るたびに布教活動をしてくれて。『MHW』も10本買ってくれたんですよ。「こんなん出てるらしいで!」とか言って。
内川 それはすごい!
徳田 で、何が言いたいのかというと、内川さんのお話とか僕の体験みたいなことはすごく大事だなぁと思うんです。何かを作って人を楽しませる経験をしたことがある人は、自分の周りを見ても例外なく伸びているというか、苦しさも知っているから伸びしろがすごく大きい。なので、もしゲームデザイナーを目指す人がこれを読んでいるのなら、とにかく何かを作って人を楽しませることをしてみてほしいです。
最近、ゲームデザイナーの採用のとき、そういった経験をしたことがない人が応募してくることが多い気がするんです。例えばプログラマー希望でプログラムを書いたことのない人間はほぼいないですし、アニメーター希望で絵を描いたことがない人もほぼいないのに、なぜかゲームデザインとなるとゲーム作りや人を楽しませる経験をしたことがないのが当たり前になっている気がするんです。
採用担当はそういう部分も評価してあげてほしいなぁと思っていますね。
内川 そのとおりですね。例えば、迷路を描いていたという話も「ここできっと詰まるだろうから、こっちに近道を用意しておいたら、見つけたときに嬉しいかもしれない」と相手の気持ちを考えて作っていました。
もちろん、当時は無邪気にやっていたわけですが、そこを考えながら作るというのは、今もゲーム作りに役立っている部分だと思っています。
●宮崎駿監督に影響を受けて
―― 影響を受けたクリエイターについても教えてください。
徳田 僕は宮崎駿さんです。大学に行ったのも、宮崎さんが著書で「仕事を始めたら消費するばかりで入れるターンがなくなるから、何でもいいから好きなことを思いっきりやりに大学に行きなさい」って書いてあったからなんです。その通りにしました。
―― 「出発点※」ですか。
「出発点―1979~1996」(スタジオジブリ) アニメーション映画監督・宮崎駿の書いたエッセイ、企画書、演出覚書、司馬遼太郎らとの対談、インタビュー等90本を収録。また互いに日本のアニメを進化させてきた高畑勲が、素顔の宮崎駿を綴る。(MARCデータベースより)
徳田 はい。今も枕元に置いて読んでいます。とにかく宮崎監督の作品をめちゃくちゃ観て、著作もそうなんですが、絵コンテ集とかも買ってずっと分析していました。
好きな作品は映画では「天空の城ラピュタ」、そしてバイブルは高校の頃に読んだ漫画の「風の谷のナウシカ」です。とくに「ナウシカ」は、僕の中のすべてのクリエイティブにおいて、いちばん影響を受けていると言っていいと思います。まぁ映画のほうは上映当時、幼すぎてちょっと怖かったんですが。
内川 「ナウシカ」はちょっと大人が観るものっていう感じでしたよね。ある種憧れのような存在というか。
徳田 ですよね。観ても理解しきれてなくて、怖さしか残らなかったんですど、高校ぐらいになってもう一度観てみたら、これは何かすごいことを言おうとしているんじゃないかと。そこから漫画にどんどんハマっていきました。
―― 宮崎監督に影響を受けている具体的な部分はどんなところでしょうか?
徳田 例えば仕事に向かう姿勢ですね。「ラピュタ」のときに言われていたんですが、「朝は髪が黒かったのに、だんだん白くなって仕事が終わる頃には白髪になって帰っていく」って。そんなことを聞くと、努力の量とか、仕事に向き合う姿勢がとんでもなく厳しいからこそ、あれだけのものを作れているんだなと思うんです。
だから自分も、作りたいものを作るためには、あそこまで追い込まなきゃダメなんじゃないかと思うんですが、全然できていない。そこはいつも反省しきりです。
内川 さすがにストイックすぎるでしょう。
―― でもそんなことを言う内川さんだって、ストイックに仕事をしすぎて、水を飲むことすら忘れるという話を生放送で言ってませんでしたかね?
内川 ああ、それでプロデューサーに「水を飲めって連絡をくれ」とか言ってましたね。集中していると忘れちゃうんですよね……
一同 (笑)
―― ではそんな内川さんが影響を受けた方についても教えてください。
内川 実は僕も宮崎監督だったりします。ただ、映画作品自体ももちろん好きなのですが、なかでもとくに好きなのがメイキングDVDの「『もののけ姫』はこうして生まれた。※」なんですよ。あれは作り手側の密着ドキュメントなんですが、今のゲーム開発とも近いものがあって親近感が湧くんですね。たまに見返しては、皆さんがすごく頑張っている姿を観て、エネルギーをもらっています。
収録時間400分にも及ぶ、「もののけ姫」の製作現場を捉えたドキュメンタリー。
―― 現場制作の親近感。
内川 はい。宮崎駿さんの存在は、自分でいうところの堀井雄二さんと言いますか、ある種一時代を築き上げた方なので、その方と一緒に仕事をするということに関しても、すごく感慨深く観ているんです。
―― なるほど。お2人とも宮崎駿監督の作品、それだけでなく裏側も含めて多大な影響を受けているんですね。
徳田 はい。作品に興味が湧けば湧くほど裏側や制作過程が知りたくなっていくんですよね。
内川 そうですね。先ほど「自分で作るのが好き」って言いましたけど、僕は小さい頃から「どうやって作られているんだろう」というモノの見方をしていた記憶があります。
徳田 内川さんのそのモノの見方になるタイミングってだいぶ早いですよね。僕はどう生み出されたんだろうという興味はありましたが、モノを見るときに裏側まで関心がいくようになったのは、それこそ就職してからの方が強いです。
内川 やっぱり怪獣図鑑の話じゃないですけど、子供の頃からメイキング作品を観ていたからだと思います。
今の仕事につながっているといえば、母親が英語教室をやっていまして、僕も生徒として行っていたんですが、親の話なんか聞かないでずっと「ドラゴンクエストへの道※」を読み漁っているような子でしたからね。でも、『DQXI』の海外版が出ることになってからよく海外出張に行っているんですが、ちゃんとあのとき英語を勉強しておけばよかったなとは思いました。
―― それ今の仕事につながっているようでつながっていない話なのでは?
内川 そう。そこはもう一歩先まで見据えて、両方やっていれば良かったっていう。
一同 (笑)
『ドラゴンクエスト』の制作過程を描いたコミック。監修:石ノ森章太郎 作画:滝沢ひろゆき 企画制作:エニックス出版局(現スクウェア・エニックス)
●知人から聞いたエピソードトーク
―― ここでちょっと話題を変えて。徳田さんと内川さんをよく知る方に「2人といえば?」をお聞きしてきました。
徳田・内川 おお。
―― まず徳田さんから。答えてくれたのは『逆転裁判6』ディレクターの山﨑剛さんです。徳田さんと同期だそうですね。
徳田 そうです。彼も同年代ディレクターですね。先にディレクターになられて「キーッ」って思ったこともあります(笑)。
―― 山﨑さんの思う“徳田さんといえば”のキーワードは……「合気道」「内定時に同期で回したオンラインゲームの企画書」「釣り」だそうです。まずは合気道ですが。山﨑さんはよく技をかけられたともおっしゃってました。
徳田 そんなこともありましたかね(笑)。僕は大学で合気道を始めたんです。というのも、宮崎監督が「なんでも好きなことをやりなさい」っておっしゃっていたからで。
内川 先ほどの話ですね。
徳田 そうなんです。で、何をしようかなと思っていて、RPGやアクションって経験を積むと強くなっていくじゃないですか。なので、実際に自分が稽古をすれば強くなっていくのかに興味があったんです。
内川 そこからなんですか?
徳田 そこですね。で、いろいろな部を見て回って、合気道部に見学に行ったとき、そこの師範の方がめちゃくちゃ強かったんです。ニセモノじゃないところに入門しないと意味がないと思っていたので、そこにそのまま入部しました。
内川 師範で決めたんですか。
徳田 はい。だから合気道だからじゃなくて、いろいろ見た結果ですね。それで大学在学中はずっと合気道をやっていました。だからもとは、ゲームのレベルアップを自分で実感するために選択したんです。
―― では、オンラインゲームの企画書というのは?
徳田 就職の内定者課題のような企画書を同期で回して見せあったのは覚えているんですけど、そんなの書いたかなぁ……全然覚えていないです……。
―― 山﨑さんは当時から徳田さんがオンラインゲームに興味があって、今回『MHW』に結実していると思うと感慨深いともおっしゃってました。『WoW』にもつながる話ですよね。
徳田 その頃は『WoW』はやってないですからね。そんなの書いてたんだなぁ。ポジティブな言い方をすれば「先取りしてる!」ですけど(笑)、なんか変な感じですね。「武芸百般」っていう侍の格闘ゲームの企画書を3DCGを使って書いていたのは覚えているんですが。
内川 そういえば僕、企画書って書いたことないんですよね。
徳田 え? 『DQXI』を通す企画書は誰が書いたんですか?
内川 もうやることが決まっていて、それをどうやるのかだったんです。社内でプレゼンする用の仕様的なものならありますけど、皆さんが想像するような企画書は、これまで書く機会がなかったんですよ。それは変な話『ドラクエ』だからというのもあるかと思います。堀井さんと一緒に考えていきますから。
徳田 そうか、ゲーム作りの中でもかなり特殊なケースになるんですね。
内川さんは最初からそれありきだから違和感を感じておられないかもしれないですけど、堀井さんがゲームデザイナーとして別におられるなかで、現場責任をやっているって、考えたらすごく難しいことをされていますね。
内川 あーでも、僕は自然に入っていますね。むしろ僕は堀井さんがやりたいことを表現できればいいんですよ。そういった意味では、たしかにゲーム作りの中では少し特殊な環境下にいるのかもしれないです。
徳田 逆に僕の場合は企画書が重要ですね。なぜかといえば、ディレクターとしていちばんまずいのは「企画書通りに作ったけど、面白くなかったからコンセプトを変えます」ということだと思っているからなんです。大元の部分が変わってしまうと立て直すのに大変なコストがかかりますからね。
―― ディレクションの違い、とても興味深い話です。後ほど詳しく聞かせてください。……そして、徳田さんといえばの最後は「釣り」。
徳田 これは現在進行形でめっちゃハマってます。船に乗って行くぐらいに。
―― 生物が好きなのはよくわかりましたが、釣り自体もやられるんですね。
徳田 ハマったのは『MH4』のときなんです。というのも、信州渋温泉とコラボをさせていただいたイベントがあって、そこでニジマス釣りが体験できたんですよね。で、僕がスタッフの中でいちばん大きいニジマスを釣ったんですよ。「よし! 1位だ」って思っていたら、制限時間ギリギリいっぱいのタイミングで藤岡さんがさらに大きいのを釣ったの! もうそれが悔しくて悔しくて、とことん釣りを極めてやろうと決意したんです。そしたらそのままハマりました(笑)。
―― 負けん気がすごいですね。
徳田 だってゲームデザイナーとして弟子なのに、釣りでも負けるなんて許せないじゃないですか!
一同 (笑)
●堀井さんと息がぴったりで
―― 続きまして内川さん。アンケートに答えてくれたのは『DQXI』PS4版のプロデューサー岡本(北斗)さんです。岡本さんの思う“内川さんといえば”のキーワードは……「海外出張に行くとめっちゃ食べる」「スイーツ男子」「ボウガン事件」だそうです。
……海外出張に行くとめっちゃ食べる?
徳田 僕もめっちゃ食べるから一緒ですね。
内川 日本にいるとそんなに食べないんですけど、海外に行くと危機感があって、このタイミングを逃したらもう食べられないかもと思っちゃうんですよ。
徳田 そっちですか!?
内川 ほら、日本はコンビニもあるし日本語がそもそも通じるけど、海外は通貨も含めてそのへんのルールが通じないから……今のうちに食べておこうとめちゃくちゃ食べます。堀井さんにもホテルの朝食とかでご一緒すると「そんなに食べるキャラだっけ?」とか言われたりして。
一同 (笑)
―― 徳田さんは、なんで出張に行くとそんなに食べるんですか?
徳田 僕は単純に海外の食文化とかがすごく気になるんです。その土地の人がどんなものを食べているのかが知りたくて、ついつい食べ過ぎちゃうんです。とくに肉料理を極めてみたい気持ちも強くて、世界の肉料理は語れますよ!
―― 世界の肉料理を極めたいってすごく素敵な理由ですね。
内川 なんせ、こっち危機感だからね(笑)。
―― 食べ物でいえば、内川さんは「スイーツ男子」とのお言葉ももらってますが。
内川 そうなんですよ。なぜかわからないんですけど、甘い物が好きで。だから出張とかで地方に行くと、スタッフに「ジェラート食べにいこうぜ」って声をかけて。……いいおっさんたちがぞろぞろとスイーツを求めていくの気持ち悪いですね。
一同 (笑)
―― で、最後の「ボウガン事件」です。これってPS4版の『DQXI』に出てくるボウガンのことですか?
内川 たぶんそうですね。
徳田 事件というのは?
内川 えっと、サウンドの話だと思います。ボウガンってフィールドで撃てるわけですが、最初、撃ったときの音が「カッ、ピシッ」っていう普通な感じだったんですよ。で、僕はその音に納得がいかなくて、当時、サウンド周りを見ていた岡本くんに「ボウガンなんだから、ボウでガンッっていう音にしてよ!」って伝えたんです。そうしたら「意味わかんないから、サウンド担当と直接話してくれ」と言われまして。
徳田 さすがにボウでガンじゃ、わからないですね(笑)。
内川 なので、サウンド担当と直接話をして、鳴らしたい音のことを伝えたんです。しばらくして「実装しました」っていうから、ボウガンを撃ってみたら、ボイスで「ボウ、ガンッ」って付いていて。
一同 (笑)
内川 それを聞いた岡本くんから「絶対これじゃないよね? いったい何を話してきたの(笑)?」って。
徳田 でも内川さん、そのときサウンド担当に何かのOKを出しているはずですよね?
内川 ええ。話してその方針にOKを出したんですけど。出来てきたのがまさかの声っていう。
一同 (笑)
内川 それが岡本くんの言う「ボウガン事件」だと思います。
徳田 しかし内川さんは、そんなエモーショナルな指示を出すんですか?
内川 いや、そんなことはないですよ。たまたまそういうことがあったという(笑)。少し端折って話してしまいましたが、あの世界にはボウガンマスターという人物がいて、彼のセリフを音で実現したいと思ったのがきっかけなんですよ。ただ撃つだけのボウガンの動作に少しでも引っかかりを持たせようとして。で、その表現を「ボウでガン」って言ったわけですが……あ、最近『街』を遊び直したんですけど、あそこに出てくる監督が同じような指示をしてたなぁ。
一同 (笑)
1998年1月22日にセガサターン用ソフトとして発売(チュンソフト)。その後、『街 ~運命の交差点~』などさまざまなハードで発売されている。シナリオを切り替えながら読み進めていくサウンドノベル。渋谷を舞台に8人の主人公のとった行動が他の主人公の物語に影響を与えていく。内川さんの言う監督とは劇中に登場するカバ沢猛。「偶然にも同じ名前(笑)」とのこと。
内川 でも堀井さんだって「恥ずかしい呪いをやりたい」とおっしゃって、皆が「恥ずかしい呪いって何ですか?」状態になったことがありましたよ(笑)。そうしたら「なんか恥ずかしくなっちゃうんだよ」っておっしゃるので、「あ、それはわかるな!」って納得しましたね。だから「ボウでガンッ」でもわかってもらえたら良かったんだけど。
徳田 内川さんは堀井さんゆずりなところもあるんですね。
―― ちなみに岡本さんからは、「堀井さんと意見が合いすぎる」とのお言葉もいただいています。
一同 (笑)
徳田 それは素晴らしい話ですね。