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[特別企画]『ドラゴンクエストXI』内川毅 ×『モンスターハンター:ワールド』徳田優也 同世代ディレクターが語る「モノづくりの原点」

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●ゲーム業界に入ったきっかけ

―― さて、話を戻します。さきほど徳田さんは「『タクティクスオウガ』がゲーム業界に入る決定打になった」というお話をされていましたが、お2人は小さい頃からゲームを作ることへの興味があったんでしょうか?
徳田 僕は何かを作りたいというのはずっとありました。そのなかで何がいいのかを考えたときに、ゲームがメディアとしていちばん可能性を感じたので的を絞った形です。中学生のときにゲームデザイナーになりたいと決めました。
内川 徳田さんは本当に真っすぐだなと思います。
僕なんかは今まで話してきた通り、学生時代はゲームにハマっていたので、いつかゲームを作りたいとは思っていたんです。でも、知れば知るほど難しいものだと思っていつしか諦めたんですよね。で、実はテレビ業界に浮気をしたんです。そこでテレビ番組を作りたかったんですけど、そっちも決まりごとだったりを知れば知るほど、自分の活躍できるフィールドじゃないかもと、とん挫してしまったんです。
―― どうしようと迷われた時期に入ったんですね。
内川 ええ。そんな道に迷ったときにたまたまスクウェア・エニックスのホームページを見たら、「ドラゴンクエストのシナリオアシスタント募集」という公募があって。あぁ、こういった形でもゲーム作りに参加できるんだって、子供の頃の夢を思い出しました。そこで一念発起して応募したのがゲーム業界に入ったきっかけになります。
徳田 そのときはシナリオを書く勉強とかはされていたんですか?
内川 いや、専門的なことは何もしていないです。ただ話したようにRPGの原体験はたくさんありましたので、それを文章で表現することにチャレンジしてみた感じですね。
徳田 つまりスクエニさんというよりは『ドラクエ』に比重があったということですか。
内川 それはかなりあったと思います。『ドラクエ』はずっと好きだったので、ここでだったら自分の知識だったり、情熱を注げるんじゃないかと考えていました。
―― 応募するのに資格とかはなかったんですね。
内川 ええ。経験の有無の話もなかったですね。内容は課題があって1次、2次と。2次課題になると実際にシナリオを書いて提出といった形で、そのあとに面接でした。だから僕はもう平成のラッキーボーイです。運だけですから。
徳田 全然運だけでいける話に聞こえないですけどね。
内川 いやいや。でも、そういう意味でゲームシナリオが奥深いなと感じるのは、うまい文章を書くだけでなく、ゲームの成り立ちを理解して、いかにその面白さを引き出すかという側面を持っていることですね。なので文章を書いた経験がなくても大丈夫だったんだと思います。課題なんかも、お話よりもゲーム内容の方向にシフトしたものだったと記憶していますし。
で、会社に入って最初に驚いたのは、「ドラクエ課」っていう課があったことでしたね。この会社おもしれーぞって(笑)。
徳田 ちなみに初めて堀井さんにお会いした時のことは覚えてます?
内川 実は面接のときに堀井さんがいらしていたのでそこが最初でした。ガチガチに緊張してしまったのを覚えています。とにかく僕は緊張するとたくさん喋っちゃうタイプらしく、その場にいたプロデューサーの齊藤(陽介)さんから、「とにかく落ち着け」って声をかけてもらってなんとか話せたという。
徳田 堀井さんが面接にいたら緊張しますよね。
内川 しますよー。さらに、たまたま前日に「ゲームのなかの戦争」だったかな? そういったドキュメンタリーがTVでやっていたのを観ていて、そこに堀井さんが出演されていたんです。「あっ堀井さんだ。もしかしたらこの人と一緒に仕事をするのかなぁ」なんてことを思いながら観ていたんですよ。そうしたら次の日に自分の目の前にいるんですもん。もう腰ぬかしちゃいました(笑)。
―― (笑)。では徳田さんはなぜカプコンを?
徳田 大学を卒業した後、3D全盛なのに3DCGのことを知らないのでいいのか、とか、ゲームを作るには? をずっと考えていました。あとはモラトリアムな時間も欲しくて、1年間CGの専門学校に行くことにしたんです。
その年のE3の映像で初代『モンスターハンター』のプロモーション映像を観て「これだ!」と。生態系をゲームの中で再現しようとしているところや、格闘ゲームのノウハウが活きているアクションっぽさ、男っぽさの両面を感じて、「このゲームを作ってみたい!」と思ったので、内川さんと同じように、カプコンというよりも『モンスターハンター』を作りたいと惹かれてカプコンを受けました。
内川 先ほど話されていたアクションの秘伝のタレの話もあるし、もうカプコン一択だったんですね。
徳田 そうですね。カプコンは採用の時期がずれていたというのもあったんですが、結果的に一社しか受けてないです。当時は事業部ごとにドラフトで採用されていく感じだったみたいですが、たまたま面接で「『モンハン』のモンスターを作らせてほしい」という話をしたら、「当たりです。我々は『モンハン』の部署です」って(笑)。
―― しかし、2人とも入社の仕方も似ていますよね。タイトル一直線。
徳田 たしかにそうですね。
内川 あと今思ったのは、「モラトリアム」って言葉は我々の世代で流行りましたよね。学生時代はモラトリアム。
一同 (笑)

●会社に入って最初の仕事

―― 会社に入られてまずはどんなことをされたんでしょう。
内川 シナリオアシスタントとして入って、まずは当時の本編を作っているチームに入れてもらいました。
で、今でも覚えているのが、右も左もわからなかったときに、「『ドラクエX』のウェディのシナリオプロットを書く」というコンペがあって、読む人の気持ちも考えずに20ページぐらいの長編を書いてしまったんですよ。登場人物も書いて、小説風にして……もう情熱が盛り込まれまくりの。漫画家に憧れてたときもあったぐらい絵も好きだったので、挿絵とかもガンガンいれて。
徳田 プロットで(笑)。でも僕は絵を描けないので、絵が入るのはわかりやすくていいと思いますけどね。
内川 でも、プロットですから(笑)。で、当時はキャラクターデザインもなかったんで、“俺の考える最強のウェディ”を登場人物で描いたんですけど……
当時ディレクターだった藤澤(仁)さんに「なにこれ、河童?」って。「いえ、ウェディです」って。
一同 (笑)

『DQⅩ』より、ウェディ

徳田 結局、そのプロットはどうだったんですか?
内川 20ページも書いちゃったから読んでもらえなかったんです(笑)。で、堀井さんから「いやプロットっていうのはね」ってたしなめられて、「2枚ぐらいにまとめるところから努力しよう」じゃないですが、そんなところから僕のプランナー人生が始まりました。
結局、紆余曲折あってドワーフを担当することになるんですけど。
徳田 そのプロットの作り方は堀井さん直々に教えていただけたんですか?
内川 そうです。堀井さんと読み合わせをして作っていきました。
徳田 それはすごくいい時間ですね。
―― 徳田さんは「当たりです。『モンハン』の部署です」と言われて入ってからまず何をされたんでしょうか?
徳田 入ったとき、部署では『モンスターハンターG』と『モンスターハンター2(dos)』が並行で動いていたんです。で、最初は雑魚の企画から始めたんですけど……「『MH2(dos)』のモンスターも作らせてくれ!」って言って、やらせてもらいました。「無理やろ」とか「まだ早い!」って言われたんですけど、そこはもう「やらせてください!」って情熱で(笑)。で、モンスターは牙獣種の3匹、ドドブランゴとババコンガ、ラージャンを作りました。あとチャチャブーも。
内川 入ったばかりなのにすごい。
徳田 チームの規模がそこまで大きくなかったので、人が足りなかったというもありますね。新人自体も入ってくるのが久しぶりみたいな状態でしたから。モンスターを作るプランナーなんて、今『クロス』シリーズのプロデューサーをしている小嶋さん(慎太郎)しかいなかったくらいです。だからもう、当時のチームってデザイナーが企画を掛け持ちしてやっているような感じで、垣根なくというか、セクションもごちゃまぜ状態でした。
僕も3DCGの専門学校に行っていたのもあって、「あなたは定時まではプランナーかもしれないけど、定時からはモーションマンになりなさい!」とか言われて……なんか、時代でしたね。でも、そういった形でいろいろな仕事を見させてもらえたので経験値は増えたと思っています。
―― 実際はカオスなんでしょうけど、現場の横のつながりや空気は良かったように聞こえますね。
徳田 そうですね。とくに『MH2(dos)』は何十年も開発をしている人間でも、後にも先にもあんなタイトルはないっていうぐらいスケジュール的に忙しいタイトルだったんで、みんな無我夢中で一丸となってやったところはあります。
それで、思い出に残っているのは、東京ゲームショウにクシャルダオラとドドブランゴを出展することになったんですよ。クシャルダオラは先輩プランナーが担当して、ドドブランゴは僕だったんですが、「先輩には絶対負けたくない!」って思って(笑)、完成度を上げてやろうと自分なりにやりきったんです。そうしたら、「ドドブランゴ良かったよ」って、ユーザーさんの評価ももらえたし、ディレクターの藤岡さんにも褒めてもらえたんです。自分でやりきったことに対して、そうした評価をいただけたことで、この道をこのまま進んでいっても間違いないと思ったのを良く覚えています。
内川 それが会社に入ってからの最初の成功体験になるんですね。
徳田 はい。しかもそれが発売前にひとつできたのが良かったのかもしれません。内川さんは最初の手応えをどこで感じました?
内川 もちろん最初にシナリオを1本書いたときは手応えを感じた経験としてあるんですけど、自分の中での大きな転機は、『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2』を完成させたということですね。というのも、徳田さんが今言っていた横断的に仕事をしていたのと同じような形で、スケジュール的にもかなりタイトなタイミングでヘルプに入ったタイトルだったんです。で、そこでシナリオだけでなくゲームバランスの調整、パラメータの設定なんかも含めて全体的に携わることができて、独り立ちできたのが自信になりました。
徳田 パラメータの調整までやられたんですね。
内川 会社に入った当初はもちろんシナリオだけだったんですけど、『ドラクエIX』のときにシナリオとモンスター側のパラメータをやらせてもらって、バトルにちょっと携わっていたんです。その集大成が『ジョーカー2』に結びついたかなという感じですね。
しかし、『ドラクエIX』のときは初めてだったんで、調整はひどいもんでしたよ。まずクリアができなかったですから(笑)。僕がモンスター好きですから、活躍の場を増やそうとしてモンスターのパラメータを高くしてしまって。
徳田 あるあるですね(笑)。
内川 で、会議室でテストプレイをしていたら、当時プロデューサーだった市村(龍太郎)さんが「バギムーチョを2回連続で撃たすな!」って怒鳴り込んできて。
一同 (笑)
内川 すいませんでしたぁ!って(笑)。そのときに、藤澤さんや堀井さんから、「『ドラクエ』のバトルはお客さんを苦しめるんじゃなくて楽しませるもの」という基本的な思想の部分だったりを教えこまれました。そういう流れの中で、少しずつゲームデザインを勉強させてもらった結果が『ジョーカー2』で示せて、自分の中で大きな転機、手応えとして強く残っています。
―― なるほど。パラメータの話でいえば、以前「徳田さんが作るモンスターが強い」って話を聞いたことがあります。
徳田 いやいや、自分の作った子が倒されるのが嫌だからって強くするなんてことはないです。……まぁ僕が作ったモンスターは、テストプレイですぐに倒さないほうがいいという流れはありますけどね。すぐに倒すとどんどん強くなって帰ってくるからって、開発の子たちには気を遣われています(笑)。
内川 それ!(笑)
徳田 ただ真面目な話。よく社内で言っているのは、モンスターの役割は適度にプレイヤーを苦しめた後に倒されて、最終的には気持ち良くなってもらう存在であるということです。だから、僕が担当しているモンスターがたまたまプレイヤーの壁になるような立ち位置の強い種類が多いっていうだけですよ(笑)。

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