宮本茂さんが語る、横井軍平さんの教え

「ウルトラハンド」を皮切りに「ゲーム&ウオッチ」、「ゲームボーイ」の開発など、さまざまなヒット作品を生み出した元任天堂のヒットーメーカー横井軍平さん。当時、13回忌を迎え、横井さんと同じ歳になられた宮本茂さんにお聞きしたインタビューをそのまま再掲載します。任天堂ファン必見の内容となっています。

『スプラトゥーン3』より。パル子が手にしているのがウルトラハンド

宮本茂さんに聞いたインタビューを再掲載

※インタビューはニンテンドードリーム2010年1月号で掲載した「スーパーマリオブラザーズWiiインタビュー」の番外編を再掲載したものです

任天堂のヒットメーカー 横井軍平さん
1941年京都生まれ。同志社大学工学部電気工学科を卒業後、1965年に任天堂に入社。1996年に独立するも、翌年10月に不慮の事故に遭われ、56歳の若さでこの世を去られた。

—— 『ドンキーコング』と 『マリオブラザーズ』を一緒に作られたわけですが、宮本さんから見た横井さんのスゴイところはどんなところだったんですか?

宮本 ひとつはアイデアマンとして何でも商品にしてまとめ、仕事としてわりきれる部分でしょうね。横井さんは自分の趣味を商品にすることもしてはったし、会社の出すお題にもアイデアで的確に返していましたよね。

—— アイデアで返すとは?

宮本 お題が出たら何かアイデアで返すっていうのが基本的にアイデアマンの仕事なわけですけど、横井さんの場合は細かいところを指摘していくのではなくて、一番効果的なところを突けるんです。例えば、カーソル部分が動いて画面がスクロールするゲームがあったとして、遊んでいてもいまいち面白くない。そうすると、カーソルを動かさないで画面全体を動かすようにしようとか、アイデアひとつで同じ構造なんだけどちょっと方向を変えて遊べるようにするんです。

—— なるほど。

宮本 ゲームをデザインしている人は誰でもしていることなんですけど、「あーしてこーして」ってたくさんやるんじゃなくて、大事なツボはここにあるって一番大きなことを見抜くといいますか。

—— どう見抜いていたんでしょうか。

宮本 視点の切り替えでしょうね。例えば月の裏には第二の月があるかもしれないけど、地球からは永久に見えないでしょ。でも月側から見れば誰でも見えるわけですよね。横井さんには、そういったこっちから見ているんじゃ見えないことを見つける力があったんです。

—— 実際にその力を感じたんですか?

宮本 うん。手に取るようにわかりました。僕も若かったですけど、真面目なんで正論でぶつかっていくと必ずかわされるんです。例えば会議で「ゲームはこうあるべき」みたいなことを言っていると、「みんなが一緒じゃ面白くないんちゃうか」みたいな感じで、ほかの例えを出されるわけです。そうすると、一つの方向に向かっていた会議が少し広がるんですね。若いころの僕には会議を煽動することはできても、そういった会議を崩すことはできないんですよ。だから、そういうことをサラッとやられると「くやしい!」って思いましたね(笑)。

—— でも、今は宮本さんがそういう立場ですよね。

宮本 うん。でも、今思うのは年齢を重ねていかんとできんことかなって。例えば過去を例にとって説明するにしても、ネガティブに否定をするんじゃなくて、これまでにそういう失敗があって、こういうふうにうまくいかなかったって言える経験が大きいんですよ。だから、横井さんと最初に出会った20代のころは、それを言われると何にも言えないよなってなりましたね。30歳を過ぎて、一緒に仕事をしだすと会議の中での役割もわかってきて。横井さんがいるときは僕が突っ走っても大丈夫でしたけど、横井さんがいない会議では僕がそっちの役をやらないといけなくなっていきました。

—— 横井さんがいると宮本さんもやんちゃなことができたと。

宮本 完全に一緒にやったのはさっきの2本だけなんで、あんまり一緒に仕事はしてないですけど、そういう意味じゃものすごく多くの影響を受けてますよね。そうそう、あのころ僕は横井さんと師弟だと思っていたので、『スーパーマリオ』の案なんかも見せに行きましたよ。




—— 横井さんはなんと?

宮本 「それぐらいがいいんちゃうか」って。いつも固いことを考えているから、それくらいのゆるさがええんちゃうかという意味でしょうね。そうだ、たぶん社内で一番最初に試作品を見せたのが横井さんです。それで、横井さんの息子さんがそれを遊んで反応がよかったみたいで、「ほんまにいいんちがうか?」って言ってましたね(笑)。

—— (笑)。ほかにも、わかりやすさという部分も影響を受けられたように思うんですが、それはどうでしょうか。

宮本 影響を受けたというより、その部分は考えが同じだったといった方がいいでしょうね。

—— なるほど。

宮本 よく例えに出す話なんですけど、横井さんが作った「シューティングトレーナー」という、プロジェクターで映したビンの絵を光線銃で撃つゲームがあるんです。ゲームをスタートさせると、まずは止まっているビンが1本出ます。だから撃ちます。すると今度は2つ出てくる。だから今度はバンバンって2回撃つ。そうやって「うまいやん俺」なんて思っていると、今度はビンが飛ぶんです。ようするに横井さんは、難易度を少しずつ重ねるというやり方で作られていたんです。それはすごく参考になりました。

—— 『スーパーマリオ』にも影響を?

宮本 複雑にしていくんじゃなくて、積み重ねていくことに達成感があるというのは、『スーパーマリオ』に限らずいろんなものを作る上で今でも思ってます。あと大事なのは、「シューティングトレーナー」はビンが全部で20本とか30本しかなくて、ゲームが終わると何本目に失敗したかわかるようになっていたことです。これが何百本もあると、300本中264本命中したって言われても全然くやしくない。でも、30本中29本とか言われると、もう一回やる気になりますよね。

—— すっごいくやしいですからね。

宮本 人間はモチベーションが大事で、なぜもう一回やりたいと思うかを考えたとき、自分を向上させたいと思うからで、漠然とした数字よりもはっきりしたものを提示した方が、その気になりやすいんです。最近の人にはこの手法は通用しないような気もしているんですけど、目標があると達成したときにほめてもらえるし、ほめてもらえるとまた頑張ろうと思うでしょ。そういう意味じゃ、人は成長を確認しながら遊んでいるわけです。

—— 苦労が大きいと達成感も大きい。

宮本 そうそう。って、これニンドリでする話ちゃうんじゃないの?

一同 (笑)

シューティングトレーナー  横井さんが作ったゲームセンター用の筺体。当時のチラシにはゲーム時間は1分30秒、最高得点が40点と記載されている。(資料提供:山崎功)


©️ Nintendo

 

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