「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」完結記念 姫川明インタビュー後編
姫川明先生による初の長編「ゼルダ」の連載である、コミック版「トワイライトプリンセス」(以下「トワプリ」)。連載の完結を記念した、姫川先生へロングインタビューの後編!
前編に続いて、「トワプリ」の最終戦にまつわるお話や、マンガとして創られた豊かな「ゼルダ」の世界のクリエイトのひみつをお届けします!(ニンドリ2022年5月6月号掲載)
インタビュー本文での表記はゲームを『ゼルダの伝説』・『トワイライトプリンセス』、コミックを「ゼルダ」・「トワプリ」としています。
姫川明の創造 〜表情豊かな「ゼルダ」の世界〜
1991年に商業誌デビュー。本田A先生(写真左)と長野S先生(写真右)の2人組ユニットのマンガ家。1999年より、「ゼルダの伝説」シリーズ5作目『ゼルダの伝説 時のオカリナ』以来、『ゼルダ』のコミカライズを、9作品手がけてきた。これらの作品は、欧州、北米でも非常に評価されており、その活動は日本に留まらない。作家としてさまざまな顔を持ち、「姫川 明輝」名義でのオリジナルコミック作品も多数。
「トワプリ」の連載について
「トワイライトプリンセス」は、ゼルダシリーズ25周年でもあった2016年2月より執筆開始。
小学館の「マンガワン」にてコミックアプリでの配信という形で連載されました。コミック全11巻が小学館より発売中。
終わらぬ勇者の戦い、年月の重みと作品の深み
戦いの本質に向き合う、ガノンドロフとの戦い
—— 最終戦は、本当に濃密でしたね。
本田 10冊かけてリンクの人間的な成長の描写を膨らませて描いたので、そこからガノンに立ち向かうまでの過程を描くのは少し大変ではありました。
—— 今までの学年誌の連載の時のように、次のお話でいきなり最終決戦へ、と描くわけにはいかないですものね。
長野 戦いの最後にどんな答えがあるのか、どう描こうか…。実は最後の最後まで見つけられずに本当に悩んだんですよ。リンクがここまで戦ってきた大きな意味や理由をずっと考えていました。その答えを見出すとっかかりとなったのは、今私たちが直面する現実でした。
—— ここ数年続いているコロナ禍などでしょうか。
長野 現実世界で不安と恐怖を目の前にした人々の混乱に、フィクションを超えているなと感じました。目の前の大きな敵を何度も倒そうとしても、完全に戦いが解決することなんてないんだなぁと、そういう世の中が現代の我々にあった感じですよね。
—— 今、まさに目の当たりにしている感じもします。
本田 ハイラルの歴史も、何回倒してもまた次の時代でガノンドロフの復活が繰り返される。今、目の前のガノンドロフを倒しても、戦いが完全に終わるものではないのです。連載している期間が図らずもそんな現実と繋がって、「トワプリ」のラストを模索しながら描く過程は、今までにない特別な時間でした。
—— ガノンドロフとの戦いでは特に「ゼルダの伝説」と哲学が結びついたような深いセリフが溢れていたと思います。
本田 何度戦っても争いが繰り返される運命に気づいたリンクは、ふと、自分はなにをやってるんだろうか、なんのために戦っているのか…と、気がつくと思うんです。ただ目の前の敵を倒したところで、これは完全に勝ったわけではない。
—— なるほど。
本田 戦いの本質をガノンドロフの方が最初から分かっているような感じがしたんです。決戦の最中で気づくリンクに対して、「今の己を倒したところでまた同じことの繰り返しだ」、という答えを突きつけたガノンドロフの方が、意味合い的に勝利したのかもしれない。自分はそのような気がしています。“リンク”の戦いは延々と終わらないわけですから。
—— ファンタジーとはいえ、侮れない深さですよね…。
本田 私たちは何度も「ゼルダの伝説」の最終戦、ガノンとの戦いを描いてきた中で、リンクの戦いはいつ終わるんだろうと思っていました。これは「トワプリ」について考えたとき、さらに深く考えちゃいましたね。この運命はどこかで変えるべきなのではと…。その上で導かれた答えがあのラストです。戦いという本質について気づいた「トワプリ」のリンクが、最後にはどうするか…。選択肢もいろいろ考えていました。
—— ゲームの中では、エポナに乗って走っていくところで終わっていて、リンクの行方についてはっきり描かれていませんね。
長野 このマンガでのリンクは、戦いが終わっても、すんなりトアル村へ帰って元のように暮らすことはできないなと思いました。こんなに大きな経験を積んでしまっていますから。
—— このお話を聞いた上で、改めて最終決戦を読むと深まりが増しますね…。
本田 「トワプリ」での表現は、今の現実や、自分の人生経験が偶然少し重なった風に感じます。何に対して戦っているのか分からない、という感覚が現実にもあったわけです。もしも次に「ゼルダ」を描かせていただく機会があっても、あそこまでハードなテーマにはできないような気がします。「トワプリ」に関してはそういうことがマンガとしての表現の中に含まれて、クリエイトされた作品であるということを、理解してもらえるととても嬉しいです。
—— 最終決戦のあと、最後のリンクの笑顔など、セリフのないコマにもいろいろ言葉が浮かんで見えてきます。
本田 言葉にしていない箇所にもいろいろな意味を含ませて描いています。「トワプリ」はところどころ解説がないとどういう意図なのかが気づきにくい方もいるかもしれないです。そんな描き方をしています。
「時の勇者」に見る、人生経験が語る含み
—— 姫川先生が描く「古の勇者(「時のオカリナ」の時代のリンクのこと。またの名を「時の勇者」)」には、特別な感慨深さを感じました。
本田 実は当時、「時の勇者」である「オカリナ」の大人リンクだけで数10巻になるような連載をしてみたい、という気持ちはありました。描きたいという気持ちだけで実現できるものではないのですが。
—— それはすごく読んでみたかったなと思います…!!
長野 あのとき、大人リンクをキャラクターとしていい感じに育てられたので、そのときできなかったことを「トワプリ」で描けたら、という思いはあったかな。
本田 古の勇者を印象的に扱うことによって、あの姿に至るまでの彼の諸々の人生を、読者の中でも想像することができるかなと思いました。本当はその彼の活躍を、「オカリナ」連載当時に機会があれば描きたかったけど、その「彼」の活躍は描くのが叶わなかったわけです。その私たちの思いは、古の勇者自身の「叶わなかった」という無念の思いにも繋がるものがあったかもしれません。
—— 古の勇者は、「オカリナ」の物語のあとで「勇者」としての活躍が知られることが「叶わなかった」世界観のリンクなんですよね。
本田 実は私たちは学年誌の連載中にマンガ家として表に知られる機会が少なかったんです。連載も1学年の読者だけに向けたものでしたから。そういう意味でも彼の境遇には、自己投影ともまた違うのですが、肩入れしてしまうような気持ちはありました。自分たちの中でも体験していることだったので、彼の無念を描けたわけです。
—— 作家としての立場で、ある意味同志のような存在だったわけですね。
本田 マンガの中でも古の勇者が青年の姿から一変して老人となり、骨になっていく。そんな描写を2枚の見開きの絵で描きました。昔からの読者さんや勘のいい方は、そこに彼の歩んできた年月と人生の含みを見出してくれるかなと思い、表現しています。
—— 姫川先生が描いた、あの古の勇者は、ゲームとはまた違う感慨深さがありました。
本田 「リンク」というキャラクターを長い年月かけて育てる機会をいただけたというのもあります。あのような含みは、若い時だったら描けなかったと思います。やっぱり作品の深みという部分を描くには、作家自身の人生観は必要ですね。
長野 そういう部分まで描くことができたのは「トワプリ」のような長い連載だったからです。そういう意味でやっぱり「トワプリ」は特別ですね。
本田 皆さんの応援に支えられたおかげですが、キャラクターを丁寧に育てていけました。これはマンガ家でもなかなか得られない機会なんです。